焼戻し温度を500℃以上にすると、55HRC近い硬さを出しながら耐食性がほぼゼロになります。
STAVAX(スタバックス)は、スウェーデンのUddeholm(ウッデホルム)社が開発したマルテンサイト系クロム合金ステンレス工具鋼です。JIS規格ではSUS420J2の改良材に相当し、プラスチック成形用の精密金型向け材料として世界中の金型製造現場で採用されています。特に耐食性、鏡面磨き性、耐摩耗性を高い水準で兼ね備えている点が、他の金型用鋼との大きな差別化ポイントです。
その化学成分は、炭素(C)0.38%、シリコン(Si)0.9%、マンガン(Mn)0.5%、クロム(Cr)13.6%、バナジウム(V)0.3%で構成されています。クロム含有量が13.6%とステンレス鋼の基準である10.5%を大きく上回っているため、優れた不動態被膜を形成し、湿潤環境や腐食性樹脂(PVCやアセテートなど)の成形にも対応できます。
硬度HRC(ロックウェル硬さCスケール)という指標で見ると、STAVAXの硬さは熱処理の状態によって3段階に分かれます。
| 状態 | 硬さの目安 |
|------|-----------|
| 焼なまし材 | 約200HB(≒13HRC) |
| プリハードン材 | 27〜35HRC |
| 焼入れ焼戻し後 | 50〜55HRC |
これは非常に重要な情報です。プリハードン材(27〜35HRC)というのは、素材メーカーがあらかじめ焼入れ・焼戻しを施した状態で出荷している製品で、そのまま機械加工できるため工数削減に役立ちます。一方、鏡面性能や耐摩耗性をフルに引き出したい用途では、追加の焼入れ・焼戻しを行って50〜55HRC程度まで硬化させることが推奨されています。HRCの数値を正しく理解することが、材料選定の第一歩です。
HRCとはロックウェル硬さCスケールのことで、ダイヤモンド圧子を一定荷重で測定対象に押し込み、その押し込み深さから硬さを数値化したものです。工具鋼や金型鋼の硬さを評価する際に広く用いられています。HRC50という値は、ビッカース硬さでおよそ513HVに相当し、一般的な構造用鋼(SS400など)のHRB80〜90(≒20HRC以下)と比べると、圧倒的に高い硬さです。
参考として、ウッデホルム・アサブ社の公式技術資料にSTAVAX ESRの熱処理条件と硬度データが詳しくまとめられています。
ASSAB公式:STAVAX ESR テクニカルデータ(機械加工条件・熱処理・硬度曲線)
STAVAXで所定の硬度HRCを得るためには、焼入れと焼戻しの2工程を正確に管理することが必要です。これを理解しているかどうかで、金型の最終性能に大きな差が出ます。
焼入れ温度の標準は1020〜1030℃で、保持時間は材料全体が焼入れ温度に達した後、30分程度が目安とされています。焼入れ後の硬さは焼入れ温度によって異なり、1020℃焼入れで約56±2HRC、1050℃焼入れで約57±2HRCが得られます。焼入れ媒体は加圧ガス冷却(真空炉)が標準で、形状変形を許す範囲で冷却速度はできるだけ速くすることが推奨されています。
次の焼戻しが、硬度と耐食性のバランスを決める最重要ポイントです。焼戻し温度は100〜600℃の範囲で選択できますが、狙いによって大きく結果が変わります。
低温焼戻しと高温焼戻しで硬さの数値がさほど変わらなくても、耐食性は劇的に異なります。ASSAB社のデータによれば、焼戻し温度が低いほど耐食性は高く保たれ、300〜400℃以上になると急激に低下する傾向があります。つまり「硬さだけで焼戻し温度を選ぶ」のは大きなリスクです。
焼戻しは室温まで冷却を挟んで2回行うことが標準手順です。また、焼入れ後すぐ(金型温度が50〜70℃まで下がった時点)に焼戻しを実施することが求められます。タイミングを逃すと残留応力が蓄積し、後工程で割れが起きるリスクが高まります。これが基本です。
なお、同じ焼入れ温度・焼戻し温度でも、金型や工具の大きさによって実際の硬さは焼戻し曲線より低くなる場合があります。カタログ値はあくまで小サイズのサンプルに基づくため、実際の金型製作では取り代を十分に確保し、粗加工と仕上げ加工の中間に応力除去熱処理を実施することが推奨されています。
STAVAXが多くの現場で採用される理由の一つが「鏡面加工性」です。ただし鏡面を最大限に引き出すには、適切なHRC状態での施工が前提になります。
プリハードン材(27〜35HRC)の状態でも、焼なまし材と比較すると切削加工表面のむしれが少なく、研磨(みがき)作業の合理化に貢献します。しかし光学部品や医療機器部品など、最高品位の鏡面(#12000以上)が必要な用途では、焼入れ焼戻しを施してHRC50〜55程度まで硬化させた状態での研磨が推奨されます。双葉電子工業の技術データによれば、50〜55HRCに硬化することで優れた鏡面(#12000)が得られるとされています。
研磨作業において、STAVAXには「前段階の磨き傷が取り除けたらすぐに磨きを止める」「あまり粗い表面から磨きを始めない」という独自のコツがあります。他の工具鋼と同じ感覚で研磨を進めると、介在物の脱落による「ピット(点状の凹み)」が発生しやすくなります。
STAVAXはESR(エレクトロスラグ溶解)法で製造されており、介在物が非常に少なく均質な組織を持つことが特徴です。これがシボ加工性の高さにも直結しています。ただし、STAVAXはステンレス系材料であるため、シボ加工の際は「ステンレス鋼向きのシボ加工」を行う必要があります。通常の工具鋼と同じ処理をすると、不動態被膜の影響でシボの仕上がりが期待通りにならない場合があります。これは現場でよく見落とされるポイントです。
耐食性との関係で言えば、HRCが高い(=低温焼戻し)状態のほうが耐食性は高く保たれます。高温焼戻しによって一旦高硬度を得た金型でも、その後の研削や放電加工によって表面に熱的なダメージが加わると、局所的に不動態被膜が破壊され、ピット腐食のリスクが生じます。防錆対策として塩素系の防錆剤を使用すると逆効果になることも、ASSAB社の資料で明確に警告されています。「特殊な防錆剤の使用は推奨しない」という記述は現場での重要な注意点です。
参考情報として、ミスミmeviy社のプリハードン鋼解説ページにSTAVAXとNAK80などの比較データが掲載されています。
ミスミmeviy:プリハードン鋼の種類・特徴解説(NAK55/NAK80/STAVAX比較)
STAVAXは「難削材」に分類されます。加工硬化(ひずみ硬化)が起きやすく、特に切削や研削工程で適切な条件を設定しないと工具の早期摩耗や表面品位の低下につながります。
HRC状態別の加工条件の目安は以下の通りです。
| 状態 | エンドミル(工具材) | 切削速度の目安 |
|------|---------------------|--------------|
| 焼なまし材(約200HB) | ハイス | 14〜16 m/min |
| プリハードン材(27〜35HRC) | 粉末ハイス | 10〜12 m/min |
| 焼入れ焼戻し材(53HRC) | 超硬 | 5〜10 m/min |
焼入れ焼戻し材(53HRC)のエンドミル加工では、切削速度が5〜10 m/minと非常に低いことが分かります。一般的な炭素鋼(20〜30 HRC前後)と比べると、3〜4倍の時間がかかる計算です。これは工具コストとサイクルタイム両面でコストに直結します。
旋削加工については、焼なまし材(約200HB)の荒加工では超硬P30〜40チップで切削速度160〜210 m/min程度が確保できますが、プリハードン材(310HB相当)では120〜170 m/minに落とす必要があります。送り量も熱処理状態に応じて細かく調整することが、工具寿命と仕上げ面精度を両立させる鍵です。
超精密加工では、単結晶ダイヤモンド工具が最高の刃先精度を持つ選択肢ですが、STAVAXは鉄系材料であるため「熱化学反応による炭素拡散」が起き、ダイヤモンド工具の急速な摩耗を引き起こします。このため、STAVAXの超精密切削加工には超硬工具かコーティング処理済み工具が必要です。知らずにダイヤモンド工具を使うと、非常に高価な工具が短時間で使い物にならなくなります。痛いですね。
研削加工における砥石選定も、焼なまし材と焼入れ材で異なります。正面研削(平形砥石)の場合、焼なまし材・焼入れ材ともにA 46 HVが推奨されますが、輪郭研削では焼なまし材にA 100 LV、焼入れ材にはA 120 KVと、より細粒で硬結合度の砥石が必要になります。研削条件が合っていない場合、STAVAX特有の「研削割れ」が発生する危険があります。この研削割れは外観上は見えにくく、後工程のシボ加工や長期使用で初めて問題として表れるケースがあるため、工程管理の観点でも重要です。
EDM(放電加工)・WEDM(ワイヤー放電加工)向けには、高温焼戻し(500〜530℃)の組合せが推奨されています。熱的安定性を付与することで、放電加工後の変形リスクを低減できます。放電加工の後は必ず適切な後処理(再焼戻し)を行うことで、表面の熱影響層を除去し、耐食性と硬度を回復させることが重要です。
「どのHRC状態・どの金型鋼を選ぶか」は、金型のライフサイクルコストに直接影響します。ここではSTAVAXとNAK80・NAK55など代表的なプリハードン鋼との比較を交えて整理します。
| 鋼材 | 系統 | 硬度(HRC) | 主な特徴 |
|------|------|------------|---------|
| STAVAX ESR(プリハードン) | SUS系 | 27〜35 | 耐食性・鏡面性・耐摩耗性に優れる。難削。 |
| STAVAX ESR(焼入焼戻) | SUS系 | 50〜55 | 最高鏡面・高耐摩耗。超精密金型に最適。 |
| NAK55 | SCM系 | 37〜43 | 被削性が非常に良い。溶接性・シボ性良好。焼入れ不可。 |
| NAK80 | SCM系 | 37〜43 | NAK55より鏡面性向上。放電加工性に優れる。 |
STAVAXとNAK80の最も大きな違いは「材料系統」と「耐食性」です。NAK80はSCM系(クロムモリブデン鋼系)であり、ステンレス系であるSTAVAXと比べると耐食性で大きく劣ります。湿潤環境下での長期保管や、PVCなど腐食性樹脂を成形する金型では、NAK80を使うと冷却回路の錆が進行し、冷却効率が低下してサイクルタイムが伸びるリスクがあります。これは生産コストに直結します。
一方、NAK80やNAK55は時効硬化特性(析出硬化)を持つため、焼入れ・焼戻しによる追加熱処理ができません。すでに37〜43HRCという高硬度で出荷されており、それ以上の硬化は不可能です。対してSTAVAXは追加の焼入れ焼戻しで50〜55HRCまで硬化させることができ、より高い耐摩耗性・鏡面性が得られます。用途に応じて「プリハードンのまま使う」か「焼入れして使う」かを選べる柔軟性が、STAVAXの大きな強みです。
実際の金型製作における選定の目安として、一般的な射出成形用金型(熱可塑性樹脂)では45〜52HRCが推奨硬さ、コンプレッション金型・ブローモールド(PVC/PETなど)・押出引抜き用でも45〜52HRCが適切とされています。これはASSAB社の公式資料に明記されている数値です。
現場でよくある失敗として「プリハードン(27〜35HRC)のまま鏡面金型として使い続ける」というケースがあります。プリハードン材のHRCでは耐摩耗性が不十分で、大量ロット成形を続けると金型キャビティ面に摩耗が進み、成形品の寸法精度が早期に低下します。結果として金型の補修・作り直しコストが発生します。鏡面金型や精密金型では、最初から焼入れ焼戻し品(50〜55HRC)を使用するか、プリハードン材に追加熱処理を施してから使うことが、長期的なコスト削減につながります。
大量生産向けの使い捨て容器などのプラスチック金型に対して、実際にSTAVAXを使用した事例では、成形開始時の表面品位が数百万ショット後も維持されたという実績があります。これはNAK系では実現しにくいSTAVAXならではの性能です。
STAVAX ESR テクニカルデータ(加工条件・熱処理・物性値)
金型製作や修理の現場では、溶接補修と表面処理(PVDコーティング・窒化など)がSTAVAXの硬度HRCに予想外の影響を与えることがあります。この視点は意外に知られていません。
溶接について最も重要なのは「溶接棒の選定」と「予熱・後熱条件」です。STAVAXの溶接には専用の「STAVAX TIG Weld」溶接棒を使用することが推奨されており、TIG溶接後の溶接部硬さは54〜56 HRCになります。これは母材の焼入れ焼戻し材と同等以上の硬さです。
しかし、後熱処理の条件を間違えると問題が起きます。焼入れ材へのTIG溶接後は、元の焼戻し温度より10〜20℃低い温度で焼戻しを実施することが必要です。この「10〜20℃低い」という数字が重要で、元の焼戻し温度より高くしてしまうと母材の硬度が低下し、補修部位と母材で硬さの不均一が生じます。結果として研磨時に段差が出たり、シボ加工の仕上がりにムラが生じたりするリスクがあります。
また、溶接の予熱温度は200〜250℃が指定されており、この温度管理を怠ると溶接割れが発生します。溶接前に予熱が不十分だと、溶接部の急冷による硬化とひずみが原因で、溶接ビード周辺にクラックが入ることがあります。STAVAXは13.6%クロムを含むマルテンサイト系ステンレス鋼であり、溶接割れ感受性が通常の工具鋼より高い点を忘れないことが大切です。
表面処理については、PVDコーティングを施工する際の処理温度がHRCに影響します。PVD処理は通常400〜500℃程度の温度で行われますが、STAVAX ESRを低温焼戻し(200〜250℃)した状態でPVD処理を行うと、処理温度が焼戻し温度を上回るため母材が再焼戻しされ、硬さが低下する可能性があります。このため、PVDコーティングを予定している場合は、あらかじめPVD処理温度より高い温度での焼戻しを行っておく必要があります。具体的には高温焼戻し(500〜530℃)を先行させる対策が有効です。これが条件です。
窒化処理については、STAVAXはステンレス系のため不動態被膜が窒化の妨げになることがあります。事前に不動態被膜を除去する下処理が必要な場合があり、処理メーカーへの事前確認が不可欠です。窒化によって表面硬さはHRC65〜70相当まで高まる可能性がありますが、母材の硬度(コア硬度)は変化しません。この表層と母材の硬さの差が、高荷重下での剥離や割れのリスクになるケースがあります。
ここで改めて整理すると、STAVAXを使いこなすには「硬度HRCは熱処理のどの段階を指しているのか」「後工程の処理温度が焼戻し温度を超えないか」という2点を常に確認することが原則です。
十分な情報が収集できました。記事を生成します。