マルテンサイト系ステンレスは、鉄を主成分として炭素とクロム(Cr)を添加した金属材料です。クロムの含有量は約11%から18%の範囲で、他のステンレス鋼と比較すると比較的少ないものの、炭素含有量が多いことが特徴です。この組成により、「マルテンサイト結晶」と呼ばれる組織構造を持ち、急冷することで硬化する性質があります。
マルテンサイト系ステンレスの基本的な特徴は以下の通りです。
クロム含有量が13%程度のSUS410やSUS420J2が代表的な鋼種となっており、これらは「13クロムステンレス鋼」や「13Cr鋼」などとも呼ばれています。マルテンサイト系ステンレスは1913年にイギリスのハリー・ブレアリーによって発明され、それ以来、多くの産業分野で重要な工業材料として使用されてきました。
一般的に棒鋼や平鋼の形状で利用されることが多く、その高い強度や耐久性から、刃物、タービンブレード、軸受などの製造に適しています。
マルテンサイト系ステンレスの物理的性質は、フェライト系ステンレスと近い数値を示します。オーステナイト系と比較すると、密度、比熱、比電気抵抗、熱膨張係数などが小さい値を示す傾向があります。
主な物理的性質は以下の通りです。
物理的性質 | 特徴 |
---|---|
熱伝導率 | 鉄の約1/2で、他のステンレスと同様に小さい |
磁性 | すべての材料で磁性を持つ |
熱膨張係数 | オーステナイト系と比べて小さい |
比電気抵抗 | オーステナイト系と比べて小さい |
機械的特性については、焼入れと焼戻しの熱処理を施すことで高い強度を得ることができます。焼入れのみでは最も高い強度が得られますが、脆い状態となるため、通常は焼戻しも行い、適切な靭性を持たせて使用されます。
JIS G 4303:2012の規格によると、焼入れ焼戻し状態でのマルテンサイト系ステンレスの機械的性質は以下のような特徴があります。
マルテンサイト系ステンレスの特筆すべき点は、熱処理による硬度調整が可能なことです。これにより、用途に応じた最適な機械的特性を持つ材料として加工できることが大きな利点となっています。
マルテンサイト系ステンレス鋼には様々な種類があり、それぞれ炭素やクロムなどの含有量によって特性が異なります。以下に代表的な鋼種とその特徴、主な用途をご紹介します。
SUS410。
マルテンサイト系の中で最も基本的で代表的な鋼種です。炭素含有量が0.15%以下、クロム含有量が約11.5〜13.5%です。
SUS420J2。
SUS410より炭素含有量が多く(0.26〜0.40%)、クロム含有量も若干多い(12.0〜14.0%)鋼種です。
SUS440C。
炭素含有量が非常に多く(0.95〜1.20%)、クロム含有量も16.0〜18.0%と高い高級マルテンサイト系ステンレス鋼です。
SUS403。
SUS410と類似した組成を持ちますが、微量元素の調整により特性が異なります。
SUS431。
クロム含有量が15.0〜17.0%と高く、ニッケルも1.25〜2.50%含む改良型マルテンサイト系ステンレス鋼です。
これらの鋼種は、それぞれの特性を活かして様々な産業分野で使用されています。特に、高い硬度や強度が求められる用途や、ある程度の耐食性と耐摩耗性の両方が必要とされる環境で重要な役割を果たしています。
マルテンサイト系ステンレスの大きな特徴の一つは、熱処理によって硬度や強度を調整できることです。主な熱処理方法とその効果について解説します。
1. 焼なまし(アニーリング)
焼なましは、マルテンサイト系ステンレスを軟化させ、加工性を向上させるための熱処理です。
焼なまし状態では硬度が低く、機械加工がしやすくなるため、複雑な形状に加工する前の準備処理として行われます。
2. 焼入れ(クエンチング)
焼入れは、マルテンサイト系ステンレスを硬化させるための最も重要な熱処理です。
焼入れによって得られる硬度は、炭素含有量によって大きく異なります。例えば、SUS420J2では約HRC55、SUS440Cでは約HRC60以上の硬度が得られます。
3. 焼戻し(テンパリング)
焼戻しは、焼入れ後の脆さを軽減し、靭性を向上させるための熱処理です。
熱処理の効果を最大限に発揮するためには、鋼種ごとの最適な温度条件を守ることが重要です。また、熱処理後の冷却速度も仕上がりの品質に大きく影響します。
工業的な熱処理では、真空熱処理や塩浴熱処理など、酸化を防ぎながら均一に加熱・冷却する方法も採用されています。これにより、製品の寸法精度や表面品質を維持しながら、内部特性を最適化することが可能になります。
熱処理の適切な制御は、マルテンサイト系ステンレスの性能を最大限に引き出すための鍵となっています。
マルテンサイト系ステンレスの耐食性は、他のステンレス系統と比較すると相対的に劣る傾向にありますが、一般的な炭素鋼よりは優れています。この耐食性の違いについて詳しく見ていきましょう。
マルテンサイト系ステンレスの耐食性の特徴
マルテンサイト系ステンレスの耐食性は主に以下の特徴があります。
他系統のステンレスとの耐食性比較
以下の表は、マルテンサイト系ステンレスと他の系統のステンレスの耐食性を比較したものです。
ステンレス系統 | 耐食性の特徴 | 代表的な鋼種 |
---|---|---|
マルテンサイト系 | 基本的な耐食性、大気環境での使用に適する | SUS410, SUS420 |
フェライト系 | マルテンサイト系より優れた耐食性、塩素環境に強い | SUS430, SUS444 |
オーステナイト系 | 非常に優れた全面耐食性と孔食耐性 | SUS304, SUS316 |
デュプレックス系 | オーステナイト系に匹敵する耐食性と高い強度 | SUS329J3L |
オーステナイト系ステンレスは、クロムに加えてニッケルを含有しているため、最も優れた耐食性を示します。一方、マルテンサイト系は強度や硬度が重視される用途に適しており、耐食性はある程度の妥協点として考えられることが多いです。
環境別の耐食性評価
マルテンサイト系ステンレスの環境別の耐食性は以下のようになります。
耐食性を向上させる方法
マルテンサイト系ステンレスの耐食性を向上させるためには、以下の方法が有効です。
マルテンサイト系ステンレスを選定する際は、必要な強度・硬度と耐食性のバランスを考慮し、使用環境に適した鋼種を選ぶことが重要です。耐食性が特に重要な用途では、他の系統のステンレスとの併用や代替も検討する価値があります。
以上の情報から、マルテンサイト系ステンレスは、耐食性よりも強度や硬度が重視される用途、例えば刃物や工具、機械部品などに最適であることがわかります。