金型の材質選定は、製造する製品の品質、生産性、そしてコストに直結する極めて重要なプロセスです 。金型には、成形・加工時の高い圧力や熱に耐えるための様々な特性が求められます 。そのため、材質には主に「鋼(スチール)」が使用されますが、その中でも用途や求める性能に応じて多種多様な鋼材が使い分けられています 。
鋼は炭素の含有量によってその性質が大きく変化します 。金型で主に使用されるのは、特殊な元素(クロム、モリブデン、タングステンなど)を添加して特性を向上させた「特殊鋼」や「工具鋼」と呼ばれるものです 。
参考)https://d-engineer.com/mold/kanagatazairyou.html
以下に、代表的な金型用鋼材の種類と特徴をまとめます。
鋼材メーカーの技術情報も参考に、より深い知識を得ることをお勧めします。
金型に使われる鋼材(工具鋼)(金型用鋼材のいろは その5) - ミスミ
金型材質の選定において、カタログスペックでよく目にする「硬度」「靭性」「耐摩耗性」は、金型の性能と寿命を決定づける三大要素と言えます 。これらの特性は互いに関連しあっており、バランスを考慮して材質を選ぶことが不可欠です 。
硬度は、物質の「硬さ」、つまり変形や傷に対する抵抗力の指標です 。金型においては、主に以下の理由で重要視されます。
ただし、硬度を高くしすぎると、後述する「靭性」が低下し、割れや欠け(チッピング)が発生しやすくなるため注意が必要です 。ロックウェル硬さ(HRC)という単位で示されることが一般的です。
靭性は、材料の「粘り強さ」、つまり衝撃に対する破壊されにくさの度合いを示します 。金型は、プレス加工の瞬間的な衝撃や、成形材料の射出圧力など、常に強い衝撃に晒されています。
一般的に、硬度と靭性はトレードオフの関係にあり、硬度を高めれば靭性は低くなる傾向にあります 。そのため、使用する金型の部位や加工内容に応じて、両者のバランスを最適化することが求められます。
耐摩耗性は、摩擦による「すり減り」に対する強さの指標です 。金型は、加工対象の材料と常に接触し、摺動(しゅうどう)するため、摩耗は避けて通れません。
耐摩耗性は、材質の硬度だけでなく、内部に含まれる炭化物の種類や量にも大きく影響されます。例えば、SKD11などのダイス鋼は、硬い炭化物を多く含むため、優れた耐摩耗性を発揮します 。
これらの特性を理解し、加工条件(被加工材、生産数、精度など)に合わせて最適な材質を選定することが、高品質なものづくりへの第一歩となります 。
参考)1−3)金型の材質について
金型と一括りに言っても、加工する対象によって求められる特性は大きく異なります 。ここでは、代表的な「プラスチック用金型」と「プレス用金型」を例に、材質選定のポイントを解説します。
プラスチックを溶かして成形する金型では、以下の特性が特に重要視されます。
| 要求特性 | 理由 | 代表的な材質 |
|---|---|---|
| 耐食性 | プラスチックの種類によっては、成形時に腐食性ガスが発生するため、金型が錆びるのを防ぐ必要があります 。特にPVC(塩化ビニル)などは注意が必要です。 | ステンレス鋼 (SUS420J2など) |
| 鏡面性・加工性 | 製品の外観品質に直結するため、磨きやすく、美しい鏡面仕上げが可能な材質が求められます。シボ加工性も重要です 。 | プリハードン鋼 (NAK80, NAK55など) |
| 熱伝導性 | 溶けたプラスチックを効率的に冷やし固める(冷却する)ために重要です 。熱伝導性が高いと、成形サイクルが短縮され、生産性が向上します。 | 銅合金(部分的に使用)、プリハードン鋼 |
| 硬度・耐摩耗性 | ガラス繊維などで強化されたエンプラを成形する場合、金型の摩耗が激しくなるため、焼入れを施した高硬度の鋼材が選ばれます 。 | 焼入れ焼戻し鋼 (SKD61, SKD11) |
小ロット生産の場合は加工しやすいプリハードン鋼、ガラス繊維入り樹脂など摩耗が懸念される量産品には焼入れ鋼、というように生産数も考慮して選定します 。
金属板を打ち抜いたり、曲げたりするプレス用金型は、瞬間的に非常に大きな力がかかるため、機械的強度が最重要視されます。
| 要求特性 | 理由 | 代表的な材質 |
|---|---|---|
| 高い硬度と耐摩耗性 | 被加工材である金属との激しい摩擦に耐え、刃先の摩耗を抑えるために必須です。特に打ち抜き加工(ブランキング)で重要になります 。 | ダイス鋼 (SKD11)、高速度工具鋼 (SKH51) |
| 高い靭性 | 加工時の衝撃で、金型の刃先が欠けたり、金型全体が割れたりするのを防ぎます 。特に、絞り加工や厚板の打ち抜きでは極めて重要です。 | マトリックス系ハイス、一部のSKD材 |
| 耐疲労性 | 何万、何百万回という繰り返し荷重に耐え、長期にわたって安定した性能を維持する能力が求められます。 | SKD11, SKH51, 超硬合金 |
一般的に、パンチ(凸型)には硬度の高い材質を、ダイ(凹型)には靭性を重視した材質を選ぶなど、部品ごとに材質を使い分けることもあります 。例えば、パンチに超硬合金やSKH材を、ダイにSKD11を使用するといった組み合わせです 。
参考)https://jp.misumi-ec.com/tech-info/categories/press_mold_design/pr07/c0311.html
金型の種類に関する詳しい情報は、こちらのサイトも参考になります。
金型の種類・材質・作り方など押さえておきたい基礎知識 - 株式会社ジェイ・エム・エス
金型用鋼材は、圧延されたままの「生」の状態では、その性能を十分に発揮できません 。多くの場合、「熱処理」という工程を経て、初めて金型として必要な硬度や強度、靭性を手に入れます 。熱処理は、鋼材のポテンシャルを最大限に引き出すための、いわば「魂を吹き込む」工程です。
主な熱処理には以下のような種類があります。
熱処理は金型性能を左右する重要な工程ですが、いくつかの注意点があります。
プリハードン鋼のように熱処理が不要な材料もありますが、超高精度や超寿命が求められる金型では、適切な熱処理を施した焼入れ鋼が不可欠です 。熱処理条件(温度、時間、冷却方法)は鋼材メーカーによって細かく指定されており、その条件を正確に守ることが、狙い通りの性能を引き出す鍵となります 。
参考)https://jp.misumi-ec.com/tech-info/categories/press_mold_design/pr07/c0188.html
金型を発注または設計する際、初期コストを抑えるために、安価な材質を選びたくなるかもしれません 。しかし、それは長期的に見ると、かえってトータルコストを増大させる「落とし穴」になる可能性があります。ここでは、材質の初期コストと、金型の寿命やランニングコストとの意外な関係性について深掘りします。
金型のコストは、大きく分けて「初期製作コスト」と「ランニングコスト(運用・保守コスト)」に分けられます。
つまり、「少量試作だから安い材料で」という判断は合理的ですが、「量産品なのに安い材料で」という判断は、将来のコスト増を招く危険な選択と言えます 。
参考)https://www.kanameta.jp/column/best-metal-materials-for-molds
もう一つ見逃せないのが、「時間」というコストです。
プリハードン鋼は、一般的な焼入れ鋼に比べて材料費自体は高い傾向にあります 。しかし、プリハードン鋼は熱処理工程が不要なため、金型設計から完成までのリードタイムを大幅に短縮できます 。
参考)プラスチック金型に使用される鋼材(材質)とは? - プラスチ…
市場の要求スピードが速い製品の場合、このリードタイム短縮は非常に大きな競争優位性をもたらします。他社よりも早く製品を市場に投入できる機会利益を考えれば、プリハードン鋼の採用によるコストアップは十分に元が取れる、という経営判断も成り立つのです。
一般的な金型材料の議論ではあまり登場しませんが、「マルエージング鋼」という特殊な材料があります 。この鋼材は、熱処理による寸法変化が極めて少ないという驚くべき特徴を持っています 。
そのため、焼入れなどの熱処理後に追加工をほとんど行うことなく、極めて高い寸法精度を実現できます。複雑で精密なプラスチック金型や、高い精度が要求されるダイカスト金型などに採用されることがあります 。材料費は非常に高価ですが、「熱処理後の修正加工が不要になる」というメリットが、加工コストやリードタイムの削減に大きく貢献し、トータルで見た場合に有利になることもある、まさにプロ向けの選択肢と言えるでしょう。
材質選定とは、単にカタログスペックを比較するだけでなく、生産数量、製品寿命、市場投入のタイミングといった事業計画全体を俯瞰して、トータルコストを最適化する戦略的な判断なのです。