NAK80は大同特殊鋼が開発した高性能プラスチック金型用のプリハードン鋼で、納入時の硬度はHRC37〜43と比較的高い値を持っています。このプリハードン鋼の最大の特徴は、優れた被削性と高い鏡面仕上げ性能を両立させていることです。一般的なS53C炭素鋼とほぼ同等の被削性を持ちながら、SCM440などの合金鋼より遥かに優れた加工性を有しています。
NAK80の機械的性質を見ると、0.2%耐力は1010 N/mm²(103 kgf/mm²)、引張強さは1255 N/mm²(128 kgf/mm²)を示し、伸びは16%、絞りは40%と良好な数値を持っています。特にシャルピー衝撃値がL方向で20 J/cm²(2.0 kgf・m/cm²)、T方向で14 J/cm²(1.4 kgf・m/cm²)と高い靭性を持つことが、精密な鏡面仕上げを可能にしている要因です。
NAK80が鏡面仕上げに適している理由として、以下の特性が挙げられます。
これらの特性により、高品質な射出成形金型において、製品表面に美しい光沢を与えることができます。また、繰り返しの荷重に耐える必要のある金型では、靭性の高さが割れや欠けを防止し、長寿命化に貢献します。
NAK80の熱膨張係数は20~100℃の範囲で11.5×10⁻⁶/℃、熱伝導率は20℃で26.9 W/m・Kとなっており、金型材料として熱的安定性も確保されています。このような特性から、特に高精度・高品質が求められるプラスチック射出成形金型に適した材料となっています。
プリハードン鋼は、JIS規格に定められていない特殊鋼であり、メーカーごとに独自の名称と特性を持っています。主な種類と特性を比較することで、NAK80の位置づけをより明確に理解することができます。
代表的なプリハードン鋼とその特性。
材質名称 | 硬度 (HRC) | 主な特徴 |
---|---|---|
NAK55 | 37~43 | 被削性・溶接性・鏡面仕上性・シボ加工性に優れる |
NAK80 | 37~43 | NAK55より靭性・鏡面仕上性に優れるが被削性がやや劣る |
HPM1 | 37~41 | 被削性に優れる |
HPM7 | 29~33 | 被削性・溶接性・靭性・鏡面仕上性のバランスが良い |
HPM-MAGIC | 37~41 | 切削加工性・溶接性・靭性に優れる |
G-STAR | 31~34 | 被削性・鏡面仕上性・シボ加工性・耐食性があり熱処理可能 |
S-STAR | 31~34 | 鏡面仕上性・耐食性・シボ加工性に優れ熱処理可能 |
DH2F | 37~41 | 被削性・耐溶損性に優れる |
GO40F | 36~40 | 被削性・加工歪の低減に優れる |
これらの材料の中で、NAK80とNAK55は特に鏡面仕上げ性に優れたプリハードン鋼として知られています。両者の硬度は同じHRC37~43ですが、NAK80はNAK55と比較して靭性が高く、より精細な鏡面仕上げが可能です。ただし、その分被削性はやや劣るため、加工条件の最適化が重要となります。
プリハードン鋼選定のポイントは、要求される表面品質と加工効率のバランスです。例えば、高い鏡面品質が必要な場合はNAK80が適していますが、複雑な形状で加工効率を重視する場合はNAK55の方が適しているケースもあります。また、耐食性が要求される環境ではG-STARやS-STARのようなステンレス系プリハードン鋼を選定することも検討すべきです。
プリハードン鋼の共通した利点は、中程度の硬度ながら被削性に優れていることで、加工後の熱処理が不要である点です。これにより、熱処理による寸法変化や歪みのリスクを回避でき、精密部品の製造に適しています。
NAK80は時効硬化型(析出硬化型)のプリハードン鋼であり、通常の炭素鋼やクロムモリブデン鋼とは硬化メカニズムが異なります。この特性を理解することは、NAK80を適切に使用する上で非常に重要です。
時効硬化とは、特定の合金元素を含む鋼材を高温から急冷した後、比較的低温(通常は400~500℃程度)で一定時間保持することで硬度を向上させるプロセスです。NAK80では、この時効硬化処理がすでにメーカーによって施されており、納入時点でHRC37~43の硬度を有しています。
重要なのは、NAK80やNAK55などの時効硬化型鋼材は、通常の焼入れ・焼戻し処理を行っても硬度が上昇しないという点です。これは製造段階ですでに時効硬化による強化が最大限に行われているためで、再度熱処理しても追加の硬化は期待できません。
NAK80の時効硬化のメカニズムは以下の通りです。
NAK80の熱処理に関する注意点として、550℃以上に加熱すると硬度が低下する可能性があります。これは高温によって析出物が粗大化し、強化効果が減少するためです。そのため、NAK80に溶接などの熱加工を行う場合は、局所的な硬度低下に注意が必要です。
NAK80の硬度を向上させる必要がある場合は、焼入れ焼戻しではなく、窒化処理などの表面硬化処理を選択するのが一般的です。窒化処理により表面層のみの硬度を向上させることができ、金型の耐摩耗性を大幅に向上させることができます。
NAK80とNAK55は共に大同特殊鋼が製造する高品質なプリハードン鋼であり、多くの共通点を持ちながらも、細部の特性に違いがあります。これらの違いを理解し、適切に使い分けることが金型製作の効率と品質を左右します。
NAK80とNAK55の比較。
特性 | NAK80 | NAK55 |
---|---|---|
硬度 | HRC37~43 | HRC37~43 |
鏡面仕上げ性 | 極めて優れる | 優れる |
被削性 | 良好(S53C相当) | NAK80より優れる |
靭性 | 高い | NAK80より低い |
耐摩耗性 | 良好 | NAK80より劣る |
放電加工性 | 優れる | NAK80より劣る |
熱膨張係数(20~100℃) | 11.5×10⁻⁶/℃ | 11.4×10⁻⁶/℃ |
熱伝導率(20℃) | 26.9 W/m・K | 27.2 W/m・K |
これらの特性に基づく適切な使い分けのポイントは以下の通りです。
NAK80が適している用途。
NAK55が適している用途。
実際の金型製作では、部位によって材料を使い分けることもあります。例えば、キャビティ部分にはNAK80を使用し、コア部分や構造部にはNAK55を使用するといった組み合わせが可能です。これにより、金型の品質を維持しながらコスト最適化が図れます。
また、両材料とも時効硬化型鋼材であるため、加工後の熱処理による硬度向上はできないという共通点があります。必要に応じて窒化処理などの表面硬化処理を検討する必要があります。
NAK80は時効硬化型鋼材であるため、通常の焼入れ焼戻しによる硬度向上は期待できません。しかし、金型の耐摩耗性を向上させる必要がある場合、窒化処理などの表面硬化処理が有効な選択肢となります。
NAK80の窒化処理による特性変化。
NAK80に適した窒化処理の種類と特徴。
NAK80の窒化処理を成功させるための実践ポイント。
窒化処理前の表面状態が処理品質に大きく影響します。研磨仕上げを行う場合は、窒化後の寸法変化(通常0.01~0.02mm程度)を考慮して最終仕上げ寸法を設定します。また、窒化前に応力除去のための低温焼なましを行うことで、処理後の歪みを最小限に抑えることができます。
NAK80の場合、処理温度が高すぎると時効硬化によって得られた基材硬度が低下する可能性があります。一般的には480~500℃の範囲で処理することが推奨されます。また、必要な窒化層深さに応じて処理時間を調整します。
金型の特定部分のみを硬化させたい場合や、ネジ部などの寸法精度が重要な部位については、適切なマスキング処理を行います。銅めっきやメッキ用ストッパーを使用する方法が一般的です。
窒化処理後は表面に「白層」と呼ばれる脆い層が形成されることがあります。精密金型では、この白層を研磨などで除去することが推奨されます。また、窒化後の寸法変化や表面粗さの変化に注意が必要です。
より高い性能が要求される場合、窒化処理後にDLC(ダイヤモンドライクカーボン)コーティングなどを施す複合処理も効果的です。これにより、さらなる耐摩耗性と低摩擦係数が得られます。
窒化処理により表面硬度を向上させることで、NAK80の優れた鏡面仕上げ性を維持しながら、耐摩耗性を大幅に向上させることができます。特に樹脂に添加されたガラス繊維による摩耗が懸念される射出成形金型では、窒化処理が金型寿命を延ばす重要な工程となります。