HAP40の硬度を「高いから何でも大丈夫」と思って焼戻しを2回で止めると、靭性不足で工具が割れます。
HAP40は、株式会社プロテリアル(旧・日立金属)が製造する粉末ハイス鋼で、JIS規格ではSKH40に相当します。「粉末ハイス」という名称が示す通り、粉末冶金法(Powder Metallurgy)によって製造される高速度工具鋼の一種です。
通常の溶解ハイス(たとえばSKH51)は溶融金属を鋳造して製造しますが、HAP40は金属粉末を焼結して作るため、結晶粒が非常に微細かつ均一に分布しています。この微細組織が、HAP40の最大の強みです。
硬度の数値を具体的に見ると、納入時(焼なまし状態)は277HB以下ですが、焼入れ・焼戻し処理後の使用時硬度はHRC64〜67(プロテリアルのデータでは標準使用硬さHRC64〜67、FUTABAデータでは66HRC以上)に達します。HRCとは「ロックウェル硬さCスケール」のことで、0〜100の数値で表す硬さの単位です。日常的な金属のイメージで言えば、一般的な炭素鋼の焼入れ後がHRC50〜60程度、超硬合金がHRC80以上であることと比べると、HAP40はその中間に位置しながらも、ハイス系としては最高クラスの硬度を誇ります。
つまり高硬度かつ粉末組織、という二重の優位性があります。
同じプロテリアルの粉末ハイスシリーズで比較すると、HAP10がHRC62〜65、HAP40がHRC64〜67、HAP72がHRC68〜71という位置づけです。「硬くすれば耐摩耗性が上がる反面、靭性(粘り強さ)は低下する」という鋼材の基本トレードオフがここにも存在します。HAP40は、このトレードオフのバランスが取れた「汎用粉末ハイス」として位置づけられており、切削工具から打抜きパンチまで幅広い用途で選ばれています。
プロテリアル(旧日立金属)による鋼種ごとの熱処理条件・標準使用硬さの公式データが確認できます。
熱処理条件一覧 | PROTERIAL(プロテリアル)公式
HAP40の性能を正しく発揮させるには、熱処理条件の細部を押さえておくことが欠かせません。特に「焼戻し3回以上」というルールは、現場でないがしろにされやすい重要ポイントです。
まず焼入れ温度から確認します。FUTABAのテクニカルデータによれば、高温強度を重視する場合は1,180〜1,210℃(油冷または塩浴)、靭性重視の場合は1,120〜1,190℃とされています。一般的なSKH51の焼入れ温度が1,200〜1,240℃であることと比べると、HAP40は条件の幅が狭く、温度管理の精度が求められます。
複雑形状の工具や金型を焼入れする際は、第3段予熱(1,000〜1,050℃、焼入加熱保持時間の2倍)を追加することが推奨されています。これは熱衝撃によるクラックを防ぐためで、形状が複雑になればなるほど昇温速度の管理が重要になります。
次に焼戻しです。焼戻し温度は560〜580℃(空冷)、そして**回数は3回以上が必須**です。なぜ3回必要なのか。焼入れ後の組織にはマルテンサイト(硬いが脆い組織)のほか、「残留オーステナイト」と呼ばれる不安定な組織が残ります。1回目の焼戻しでこの残留オーステナイトの一部がマルテンサイトに変態し、2回目以降でさらに残留オーステナイトを処理しながら炭化物を析出・安定化させます。3回繰り返すことで初めて組織が安定し、靭性が向上するのです。
1回や2回で止めてしまうと、靭性が不十分な状態で使用することになり、工具の欠けや折損につながります。これが冒頭に述べた「焼戻し2回で止めると割れる」の実態です。
また、600℃以上の焼戻しは靭性低下を招くため避けてください。高すぎる焼戻し温度は、炭化物の粗大化を引き起こし、せっかくの粉末組織の均一性を損なう原因になります。焼戻し温度の上限管理は、下限管理と同様に厳守すべきです。
FUTABAオーダーサイトに掲載されているHAP40の熱処理データ(焼入・焼戻し硬さ曲線、保持時間表を含む)を参照できます。
HAP40テクニカルデータ(PDF) | FUTABAオーダーサイト
金属加工の現場でHAP40を選ぶ理由の多くは、「SKH51では寿命が足りない」という経験から来ています。では実際にどれだけ違うのでしょうか。
ミスミのプレスハンドブックに掲載されているデータでは、SKH51を基準(1倍)とした場合の各鋼種の特性比較として、HAP40の耐摩耗性はSKH51の約8倍という数値が記載されています。同データでは座屈強度が1.5倍、抗折力が1.4倍とも示されており、単純に硬いだけでなく、強度面でも優れていることがわかります。
これは使えそうです。
この差は、粉末冶金法による均一微細組織に起因します。SKH51(溶解ハイス)は製造時に偏析(合金元素の偏り)が生じやすく、炭化物サイズも数μm〜十数μmと比較的大きいのに対し、HAP40は炭化物が1〜3μm程度に微細均一に分散しています。炭化物が微細であるということは、刃先やエッジにかかる局所応力が分散されやすく、摩耗が均一に進むため寿命が延びる、というメカニズムです。
一方で、靭性(衝撃への粘り強さ)については注意が必要です。高い硬度と引き換えに、HAP40のシャルピー衝撃値はSKH51より低い傾向があります。打抜き加工の中でも衝撃荷重が大きい用途(厚板のせん断、高強度鋼のブランキングなど)では、硬度だけで選ぶと逆に折損リスクが高まることがあります。靭性重視なら同じ粉末ハイスシリーズのHAP10(HRC62〜65)が候補になります。
| 特性 | SKH51(溶解ハイス) | HAP40(粉末ハイス) |
|---|---|---|
| 標準使用硬度 | HRC58〜64 | HRC64〜67 |
| 耐摩耗性(SKH51比) | 基準(1倍) | 約8倍 |
| 座屈強度(SKH51比) | 基準(1倍) | 約1.5倍 |
| 抗折力(SKH51比) | 基準(1倍) | 約1.4倍 |
| 主な用途 | 一般切削工具、ドリル | 精密パンチ、高耐摩耗金型 |
耐摩耗性の高さが条件になります。ただし、用途・形状・荷重条件を総合的に判断したうえで選定することが鋼材選定の原則です。
HAP40の特性を理解した上で、「どの現場に向いているか」を整理しておきましょう。選定を誤ると、工具代と加工コストの両方が無駄になります。
**HAP40が威力を発揮する用途**は、おもに以下のような高精度・高サイクルの冷間加工です。精密打抜き金型のパンチ・ダイ(薄板の高速連続プレス)、ファインブランキング(精密せん断)工具、冷間鍛造用工具、切削工具(ドリル・エンドミル・タップの高耐久仕様)などが代表的です。横山製作所の事例によれば、リストライク工程用パンチにHAP40を採用することで、耐摩耗性と寸法精度の両立を実現しています。
一方、**向かない用途や注意が必要な現場**もあります。まず、衝撃荷重が非常に大きい用途(厚い高強度鋼板のせん断や、大型の鍛造パンチ)では折損リスクがあります。この場合は、靭性に優れたHAP10やマトリックスハイス(YXR3など)への変更が選択肢になります。
また、加工そのものが難しい点も見落とせません。HAP40は高硬度ゆえに被削性が低く、焼入れ後の研削・放電加工には専用の砥石・電極条件の調整が必要です。特に放電加工後の再焼き戻し(テンパー処理)を忘れると、表面に白層(硬化変質層)が残り、使用中に微小クラックが発生する原因になります。
「硬ければ問題ない」という選定は危険です。
コーティング(TiN、TiAlN、DLCなど)との組み合わせも有効な選択肢です。HAP40の母材硬度にコーティングの耐摩耗性を加えることで、さらなる工具寿命の延伸が期待できます。特にTiAlNコーティングは耐熱性も高く、乾式切削や高速加工との相性が良いとされています。用途と加工条件に応じて、材質選定とコーティング選定をセットで検討することが近道です。
ミスミの技術情報コーナーでは、金型用鋼材(高速度工具鋼)の特性・選び方の基本解説が公開されています。
金型に使われる鋼材(高速度工具鋼)解説 | ミスミ技術情報
HAP40だけを単独で見ても、最適な選定はできません。他の粉末ハイスや溶解ハイスと比較することで、初めて「なぜHAP40なのか」が明確になります。ここでは主要鋼種を並べて整理します。
**SKH51(YXM1、溶解ハイス・JIS標準品)**は、最も流通量が多く入手性・価格面で優れています。焼入れ後のHRC58〜64という硬度は、一般的な切削加工やプレス金型には十分です。ただし溶解製造による炭化物の粗さやばらつきがあり、高サイクル加工では摩耗が早い場面があります。コスト優先で問題ない現場ではSKH51が基本です。
**HAP10(粉末ハイス・靭性重視)**は、HRC62〜65と3種の中で最も低い硬度ですが、靭性が最も高い鋼種です。衝撃荷重が避けられない用途や、細径パンチ・薄刃工具など折損リスクが高い形状に向いています。耐摩耗性よりも欠けにくさを優先するならHAP10が有力候補です。
**HAP40(粉末ハイス・汎用)**は、硬度・耐摩耗性・靭性の三者バランスがHAPシリーズ内で最も取れた汎用鋼種です。JIS規格SKH40に相当し、入手性もHAP72より良好です。精密パンチ・高耐久切削工具・冷間鍛造工具など、幅広い加工に対応できる「現場での標準選択肢」として機能します。
**HAP72(粉末ハイス・高耐熱・高耐摩耗)**は、HRC68〜71という最高水準の硬度を持ちます。コバルト(Co)含有量が多く、耐熱性・耐摩耗性に特化していますが、靭性は3種の中で最も低くなります。また価格も高く、加工難度が最大です。高温下での使用(切削速度が速い、切削熱が大きい)や超硬難削材を扱う工具に使われる鋼種です。
| 鋼種 | 標準使用硬度(HRC) | 特徴 | 向いている用途 |
|---|---|---|---|
| SKH51 | 58〜64 | 汎用、入手しやすい | 一般切削、汎用金型 |
| HAP10 | 62〜65 | 靭性最優先 | 細径パンチ、衝撃用途 |
| HAP40 | 64〜67 | 硬度・靭性バランス型 | 精密パンチ、冷間鍛造 |
| HAP72 | 68〜71 | 耐摩耗・耐熱最優先 | 高速切削、超硬難削材 |
HAP40が条件です——という場面は、「SKH51では寿命が短すぎるが、HAP72は靭性が心配」というときです。コスト・性能・加工性の三角形の中心にHAP40があると考えると、選定判断がしやすくなります。
粉末ハイスの製造原理から特性までをわかりやすく解説しているサイトです。
②-7 機械刃物の材質 粉末冶金-粉末ハイス | qoncut.com
十分な情報が集まりました。記事を作成します。