溶射皮膜の密着強度を左右する下地処理と溶射法の選び方

溶射皮膜の密着強度はなぜ剥離するのか?HVOF溶射で81MPaを超える高密着を実現する方法から、ブラスト処理・基材温度・封孔処理まで、現場で使える知識を徹底解説します。

溶射皮膜の密着強度を高める技術と現場実践ガイド

ブラスト処理をしても、溶射皮膜が1年で剥がれると補修コストが3〜5倍に膨らみます。


この記事のポイント3選
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溶射法で密着強度は3倍以上変わる

HVOF溶射(WC/20CrC・7Ni)は81.3MPa、一方アーク溶射(SUS316L)は25.3MPaと、溶射法の選択だけで密着強度に大きな差が生まれます。

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ブラスト後8時間以内に溶射しないとリスク大

ブラスト後の基材は湿気が多い環境では2〜3時間で錆が発生します。「翌日でいい」はNG。当日施工が鉄則です。

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JIS H8402で密着強度を正しく評価する

引張密着強さ試験(JIS H8402)の規格に則った評価と記録が、クレーム防止と品質保証の両面で現場を守ります。


溶射皮膜の密着強度とは何か:基本メカニズムを理解する

溶射皮膜の密着強度とは、皮膜が基材(母材)に対してどれだけ強くくっついているかを示す指標です。単位はMPa(メガパスカル)で表され、JIS H8402(溶射皮膜の引張密着強さ試験方法)によって測定・規格化されています。1MPaは1mm²の面積に約0.1kgfの力がかかる強度に相当します。


密着のしくみは主に「機械的結合(アンカー効果)」によるものです。基材表面の微細な凹凸に、溶射粒子が高速で衝突して食い込み、物理的にかみ合うことで接合が生まれます。ちょうど、接着剤が木材の木目に浸み込むのと同じ原理です。アンカー効果に加え、皮膜と基材界面の化学的・物理的結合も補助的に働いています。


もし基材表面がツルツルであれば、溶射粒子が食い込む凹凸が存在しないため、皮膜は短期間で剥離します。これが基本です。


2024年にマツダ技報で報告された研究では、HVOF溶射皮膜の高い密着強度は「超高速(約マッハ2)で飛行する硬質粒子の基材への食い込みで生じたアンカー効果」によるものと判明しています。同研究では、粒子の衝突速度が速いほど食い込み深さが増し、密着強度が向上することが確認されました。つまり密着強度は、溶射法・下地処理・施工条件の3つの掛け算で決まります。


マツダ技報2023|HVOF溶射皮膜の高密着強度とアンカー効果に関する研究報告


密着強度の評価では「破断面の状態」も重要な判定基準です。JIS H8402によれば、有効な測定値とは「素地と皮膜界面での完全剥離」または「皮膜内での完全剥離」のいずれかが起きた場合に限られます。接着剤が先に剥がれてしまうケースは無効扱いになり、測定値として除外されます。これは現場でよく見落とされる点です。


JIS H8402:2004|溶射皮膜の引張密着強さ試験方法の全文(kikakurui.com)


溶射皮膜の密着強度データ比較:溶射法と材料で何が変わるか

溶射法と皮膜材料の組み合わせによって、密着強度は大きく異なります。株式会社シンコーメタリコンが公表しているデータをもとに整理すると、下表のようになります。






















































溶射法 材料名 密着強度(MPa)
HVOF溶射 WC/20CrC・7Ni 81.3
HVOF溶射 WC/12Co 77.2
HVOF溶射 Ni基自溶合金 75.3
プラズマ溶射 NiAl 56.6
アーク溶射 NiAl 44.1
プラズマ溶射 Al₂O₃ 33.5
アーク溶射 SUS420j2 31.6
アーク溶射 SUS316L 25.3
溶線式フレーム溶射 炭素鋼 25.0


この表からわかる重要な点は、HVOF溶射のWC系サーメット皮膜が飛び抜けて高い密着強度を示しているということです。最低値の低炭素鋼(25.0MPa)と比べると、最高値のWC/20CrC・7Ni(81.3MPa)はおよそ3.25倍の差があります。これだけの差が出る。


HVOF(高速フレーム溶射)は燃焼圧を高め、溶射粒子をマッハ2前後の超高速で噴射する工法です。粒子の運動エネルギーが大きいため、基材への食い込みが深く、密着強度が格段に向上します。一方でプラズマ溶射は10,000℃超の高熱で粒子を溶融させる工法であり、特にセラミックス材料(Al₂O₃など)の成膜に適しています。


現場でよくある誤解は「プラズマ溶射の方が高温だから密着も強いはず」という思い込みです。しかし実際には、密着強度に影響するのは「温度」よりも「粒子の速度(運動エネルギー)」が大きいです。結論は速度が密着を決めます。


株式会社シンコーメタリコン|溶射皮膜の密着強度データ一覧(HVOF〜フレーム溶射まで)


なお、WC系サーメット皮膜をHVOF溶射する前に硬質肉盛または自溶合金を溶射してフュージングすると、耐剥離性がさらに極端に向上することが日本溶射協会のQ&Aセッションでも報告されています。補修コストや長寿命化を考えるなら、初期施工の工程設計を見直す価値があります。


溶射皮膜の密着強度を決める下地処理(ブラスト)の正しい知識

溶射皮膜の密着強度を左右する最大の要因のひとつが、施工前の下地処理です。なかでもブラスト処理(サンドブラスト・グリットブラスト)は、アンカー効果を生み出す凹凸を基材表面に形成するために不可欠な工程です。


プラズマ技研工業による研究では、ブラスト回数を増やすほど基材表面の粗さ指標(Rbs)が高まり、溶射皮膜の密着強度も連動して上昇することが実証されています。また、基材温度を100→200→300℃と上げた場合、密着強度はさらに大きく向上し、300℃予熱では皮膜が基材との界面ではなく「皮膜内部」で破断する状態になったことが報告されています。これは実質的に「密着強度が皮膜内部強度を超えた」ことを意味します。これは意外な結果です。


プラズマ技研工業|溶射皮膜の密着強度に与える基材表面粗さと温度の影響(学術論文PDF)


ブラスト処理の主要パラメータと推奨値は以下のとおりです。



  • 🔸 砥粒の種類:アルミナ系(酸化アルミニウム)が均一な粗化に最適。スチールグリットは大型・重荷重部材向き

  • 🔸 推奨表面粗さ(Ra):金属系皮膜は15〜25μm、サーメット・セラミック皮膜は20〜30μmが目安

  • 🔸 ノズル角度:基材に対して90度(垂直)が最も深い粗化。斜め噴射はグルーブ(溝)が線状になり密着強度が低下する

  • 🔸 ブラスト後の放置時間:現場的には8時間以内が目安。湿気の多い環境では2〜3時間でが発生することがある


特に見落とされがちなのが「粗すぎるリスク」です。粗度を上げれば上げるほど良いと思われがちですが、過度に粗い場合は凹部に溶射粒子が十分に充填されず浮きやピットが増えることがあります。また、凸部だけで点接触となり局所的な剥離が起きやすくなります。最適な粗度レンジを守ることが原則です。


表面粗さの測定は、ブラスト方向に対して直角と平行の2方向で実施し、各施工面で3〜5点の平均値を採取するのが理想です。数値管理だけでなく、目視でピークやバレーの異常・ムラがないかも確認します。ブラスト後はできる限り早く溶射工程に移し、やむを得ない場合は保護シートでカバーして酸化・吸湿をぎます。


溶射皮膜の密着強度に影響する「見落とされがちな3つの要因」

ブラスト処理と溶射法の選択だけに注目していると、見落としがちな要因が3つあります。これらは現場での剥離トラブルの根本原因になることが多く、知っているかどうかで補修コストや品質クレームの発生率が大きく変わります。


① 溶射粉末のロット変動


日本溶射協会のQ&Aセッションで現場の専門家が述べているように、溶射品質トラブルの「半数以上が溶射材料側に原因がある」とされています。粒度分布のズレ、異種材料の混入、仕様書(ミルシート)と実際の粉末が一致していないケースも報告されています。粉末ロットが変わったタイミングで密着強度が突然低下した場合、まず材料の受入検査を見直すことが重要です。


② Crメッキ下地への溶射


溶射皮膜の上にCrメッキをすることはありますが、逆に「Crメッキの上にサーメットを溶射すると、皮膜の密着力が極端に低い」ことが現場実績として報告されています。これは直感に反する事実です。補修・再コーティング工程で、既存のメッキ処理を除去せずに溶射を重ねると剥離リスクが非常に高まります。


封孔処理の有無による寿命の差


防食溶射(亜鉛・アルミ系)では封孔処理の有無が長期的な密着維持に大きく影響します。ハースロールなどの高温環境下では、封孔処理をすると3〜5年の寿命になるのに対し、封孔処理なしでは1年程度しか持たないケースもあります。つまり封孔の有無で寿命が最大5倍変わる。封孔剤はSiO₂系の無機封孔剤が耐候性に優れ、環境にも配慮した選択肢となります。


これらの要因は、いずれも「施工前の計画段階」で対策できるものです。剥離が起きてから補修するのではなく、施工設計の段階で材料管理・工程記録・封孔計画を盛り込むことが最もコスト効率の高い対策です。


日本溶射協会|溶射Q&A(現場の素朴な疑問に対する専門家回答まとめ)


溶射皮膜の密着強度を現場で正しく評価・管理するための実践ポイント

溶射皮膜の密着強度を「測って終わり」にしてはいけません。評価結果を次の施工条件改善に活かすサイクルを回すことが、現場品質の底上げにつながります。


JIS H8402に基づく引張密着強さ試験の手順


引張密着強さ試験(プルオフ試験)は、溶射皮膜面に専用の丸棒(直径25mmまたは40mm)を接着剤で固定し、垂直方向に引っ張って剥離荷重を測定する方法です。引張速度は10kN/min程度が標準で、破断荷重(N)を断面積(mm²)で除した値が引張密着強さ(N/mm²=MPa)となります。測定は3個の試験片で行い、平均値を採用します。これが基本です。


記録すべき項目は多岐にわたります。具体的には、素材名・ブラスト面の粗さ・溶射皮膜の種類・溶射方法・皮膜厚さ・接着剤の種類・引張密着強さの数値・破断面の箇所(界面/皮膜内/接着面)とその面積比を試験報告書に残します。この記録が、将来のトラブル解析や仕様書作成の根拠となります。


4M視点での密着不良原因の洗い出し


密着不良が発生した場合、原因究明には4M(Man・Machine・Material・Method)の視点で整理することが有効です。



  • 👤 Man(作業者):ブラスト・溶射の手順遵守状況、技能レベル

  • 🔧 Machine(設備):溶射装置の噴射圧・ノズル劣化・ガス流量の安定性

  • 📦 Material(材料):粉末ロットの変動、基材の酸化・油分の残存

  • 📋 Method(方法):ブラスト条件の標準化、ブラスト〜溶射までの時間管理


特に「Material(材料)」起因のトラブルは現場で軽視されやすいため注意が必要です。受入検査での粒度分布確認、ミルシートとの照合を習慣化することを推奨します。


品質管理のデジタル活用


最近では、ハンディ型の表面粗度計に加え、非接触型の3次元測定器や画像解析システムを活用して、ブラスト後の粗度を数値根拠で管理する現場が増えています。IoT化によって「ブラスト後の粗度異常を自動検知する仕組み」を導入することで、ヒューマンエラーを減らし、品質の再現性を高めることができます。これは使えそうです。


また、過去の剥離不良サンプルをアーカイブし「負の履歴管理」を行うことで、同じ不良を繰り返さないための知見が社内に蓄積されます。アナログな熟練工のノウハウを、データとして見える化することが現場力の底上げに直結します。


newji|溶射後の表面粗度が密着性に及ぼす影響と最適粗化条件(現場実践向け解説)