高周波焼入れ技術は、第二次世界大戦後の日本の工業発展において非常に重要な役割を果たしました。戦時中に無線通信用に使用されていた高周波発振機が、終戦後に遊休設備となっていました。これらの設備を金属の焼入れ処理に転用する試みが始まったのです。
1930年代末に日本での高周波焼入れ技術の導入が本格的に始まり、芝浦製作所(現在の東芝)がアメリカのアジャックス社と技術提携し、TOCCO法による焼入れの研究を開始しました。しかし、当時の周波数が低い電動発振機では、小型部品の焼入れに課題がありました。
戦中期の1939年には、京都に財団法人応用科学研究所が設立され、鳥養利三郎博士らによって「鳥養式」と呼ばれる火花式高周波焼入れ装置が開発されました。これにより、従来不可能だった小型部品の表面焼入れが可能となりました。
1943年には、海軍航空技術廠の主導により高周波焼入れ技術の軍事応用が推進され、高周波重工(現在の日本高周波鋼業)が陸海軍から合計200台の装置を受注しています。
戦後、この技術は急速に民間産業に普及し、特に自動車産業の発展と高度経済成長を支える基盤技術の一つとなりました。従来の浸炭焼入法と比較して、短時間で効率的に表面硬化処理ができる高周波焼入れは、大量生産時代の製造技術として不可欠なものとなったのです。
高周波焼入れの原理は、電磁誘導現象を利用した誘導加熱にあります。鋼材の近くに配置された加熱コイルに高周波電流を流すと、電磁誘導によって鋼材表面に渦電流が発生します。この渦電流と鋼材の電気抵抗によって生じるジュール熱が鋼材を急速に加熱する仕組みです。
特に重要なのが「表皮効果」と呼ばれる現象で、高周波電流が材料の表面に集中する性質を利用しています。この効果により、材料内部は加熱されずに表面のみを短時間で焼入れ温度まで上昇させることが可能になります。
高周波焼入れ装置は、主に以下の構成要素からなっています。
周波数の選択は重要なパラメータで、高い周波数(100kHz以上)では浅い焼入れ層が、低い周波数(10kHz前後)ではより深い焼入れ層が得られます。これは表皮効果による電流の浸透深さが周波数によって変化するためです。
高周波焼入れ後は、通常150~200℃の低温で焼戻しを行います。これは硬化した金属表面の靱性を向上させ、加工時の割れや研磨割れのリスクを低減するためです。
高周波焼入れの基本原理と装置構成について詳しく解説されています
高周波焼入れは全ての金属材料に適用できるわけではありません。炭素含有量や合金元素の組成が焼入れ効果に大きく影響します。高周波焼入れに適した代表的な材質は以下のとおりです。
【炭素鋼】
【合金鋼】
【軸受鋼】
【ステンレス鋼】
【工具鋼】
高周波焼入れによって得られる硬度は、炭素鋼S45Cの場合、一般的にHRC50~60程度となります。この硬度は従来の浸炭焼入れと比較しても遜色なく、場合によってはより高い硬度が得られることもあります。
高周波焼入れの硬化層深さは、使用する周波数によって調整できる点が特徴的です。一般的に0.5mm~5mm程度の硬化層が得られますが、低周波を用いれば10mm以上の深い硬化層を得ることも可能です。
最適な焼入れ効果を得るには、焼入れ前の金属組織も重要です。特に調質(焼入れ・焼戻し)を行い、微細粒状炭化物が均一に分散した状態が高周波焼入れに最適とされています。球状化焼鈍した組織よりも、調質した組織の方が短時間で効果的な高周波焼入れが可能です。
新潟県工業技術総合研究所による高周波焼入れの金属組織と硬さに関する詳細な解説
高周波焼入れには様々な方法があり、加工物の形状や求められる硬化パターンによって最適な方法が選択されます。主な高周波焼入れの種類は以下の通りです。
1. 定置一発焼入れ
加工物を回転させながら、全周または特定部位を一度に加熱して焼入れする方法です。円筒形状の軸やリング状の部品に適しています。加熱コイルや加工物を大きく移動させないため、汎用性が高いという特長があります。
2. 一歯毎焼入れ
歯車やスプロケットなどの歯を一つずつ焼入れていく方法です。歯先、歯底、歯面など細かく焼入れ範囲を制御でき、歯の形状に合わせた専用コイルが必要となります。精密な歯車の製造に適しています。
3. 竪型移動焼入れ
加工物とコイルを縦方向に相対移動させながら連続的に焼入れる方法です。長尺の軸やロッドなど、長い部品の焼入れに適しています。均一な硬化層を得られる利点があります。
4. 横型移動焼入れ
加工物とコイルを横方向に移動させながら焼入れを行う方法です。レールや平板など、平面を持つ部品の焼入れに適しています。広い面積に均一な硬化層を形成できます。
加工方法として特に重要なのは、コイル設計と冷却方法です。コイル設計は焼入れ品質を左右する最も重要な要素の一つで、加工物の形状に合わせた精密な設計が必要です。特に複雑形状の場合、電流の集中を避けるための工夫が必要となります。
冷却方法には、シャワー冷却、浸漬冷却、噴射冷却などがあり、均一な硬化層を得るためには適切な冷却方法の選択が重要です。冷却液には水、ポリマー水溶液、油などが使用され、材質や要求特性によって選択されます。
高周波焼入れの実際のプロセスは以下のステップで行われます。
高周波焼入れは、従来の熱処理法と比較して環境面で大きなメリットを持っています。日本政府が2050年までに温室効果ガス排出量をゼロにする目標を掲げる中、製造業においても環境負荷低減の取り組みが求められています。
高周波焼入れの主な環境メリットは以下の通りです。
将来展望としては、以下のような発展が期待されています。
これからの自動車産業における電動化や軽量化の流れの中でも、高周波焼入れ技術は部品の高強度化・小型軽量化に貢献する技術として、重要性がさらに高まっていくでしょう。また、スマート工場化の流れの中で、高周波焼入れ工程のデジタル化・自動化が進み、製造プロセス全体の最適化にも寄与していくと考えられます。
高周波誘導加熱の環境メリットと従来技術とのCO2排出量比較に関する詳細情報
自動車産業では、高周波焼入れ処理された部品が多く使用され、より高性能で環境に優しい車両開発に貢献しています。クランクシャフト、カムシャフト、ギア類など、多くの重要部品の製造に不可欠な技術として、高周波焼入れは今後も進化を続けるでしょう。