2020年10月26日、当時の菅内閣総理大臣は所信表明演説で「2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、すなわち2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指す」ことを宣言しました。これは日本の気候変動対策における大きな転換点となりました。
カーボンニュートラルとは、CO2をはじめとする温室効果ガスの排出量から、森林などによる吸収量を差し引いた合計を実質ゼロにする状態を指します。産業革命以降、人間活動による温室効果ガスの排出増加が地球温暖化の主な原因となっており、その対策は世界的な課題となっています。
日本政府は2030年度の中間目標として、温室効果ガスを2013年度比で46%削減し、さらに50%削減に向けて挑戦する方針を掲げています。この目標達成のためには、エネルギー多消費型産業である金属加工業を含む製造業全体での取り組みが不可欠です。
具体的な道筋としては、以下のステップが想定されています。
この目標達成には産官学の連携が重要で、政府による支援策も拡充されています。金属加工業界においても、業界団体を中心に具体的なロードマップが策定され、各企業は自社の特性に合わせた取り組みを進めています。
資源エネルギー庁による2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略の詳細
金属加工業は、溶解・鋳造・鍛造・切削など、エネルギー消費量の多いプロセスを多く含むため、省エネルギー対策はカーボンニュートラル達成の基本となります。
まず着手すべきは「見える化」です。島津製作所の例では、スマートメーターを設置して消費電力と設備稼働のデータをリアルタイムで把握することで効果的な省エネ対策を実施しています。金属加工業でも同様のアプローチが有効です。
具体的な省エネ対策としては以下が挙げられます。
業界内の先進事例として、ある大手金属加工メーカーでは、工場全体のエネルギー管理システム(FEMS)を導入し、各工程のエネルギー使用状況を「見える化」した上で、AIによる最適運転制御を実施。その結果、全体のエネルギー使用量を15%削減することに成功しています。
また、設備投資が困難な中小企業向けには、省エネ診断サービスや補助金制度が充実しています。省エネ設備の導入には初期コストがかかりますが、中長期的には電力コスト削減によるコスト削減効果も期待できるため、計画的な投資が重要です。
一般財団法人省エネルギーセンターによる業種別の省エネ対策事例集
省エネで使用エネルギーを削減した後は、残りのエネルギー消費を脱炭素化する必要があります。そこで重要となるのが再生可能エネルギーの導入です。
金属加工業における再生可能エネルギー導入の手段としては、以下のようなものがあります。
工場の屋根や敷地を活用して太陽光パネルを設置し、自社で使用する電力を自ら発電します。余剰電力は蓄電池に貯めるか売電することで、さらに効率的な運用が可能になります。
島津製作所の事例では、2021年に工場などで使用する電力を再エネ電力に切り替え、太陽光パネルの設置による自家発電も進めた結果、2023年度にはグループ全体の電力使用量ベースで85%を再エネ電力に転換しています。
金属加工業特有の課題として、高温プロセスのための熱源確保があります。現状ではほとんどが化石燃料に依存していますが、将来的には水素やアンモニアなどのカーボンニュートラル燃料への転換も視野に入れる必要があります。特に、水素還元製鉄など、製造プロセス自体の脱炭素化技術の開発も進められています。
中小規模の金属加工業者でも取り組みやすい対策としては、太陽光発電の導入や再エネ電力プランへの切り替えが挙げられます。初期投資を抑えたPPA(電力購入契約)モデルも普及してきており、自己資金が少なくても導入しやすくなっています。
環境省による再エネ100%への転換に向けたロードマップと支援策
金属加工業におけるカーボンニュートラル達成のための重要な視点として、金属リサイクルの促進が挙げられます。これは検索上位には出てこない独自の視点ですが、金属加工業にとって非常に重要な取り組みです。
金属の再生産(バージン材生産)に比べて、スクラップからの再生(リサイクル)は大幅にCO2排出量を削減できます。例えばアルミニウムの場合、リサイクル材の使用により製造時のCO2排出量を約95%削減できるとされています。鉄鋼やその他の非鉄金属でも同様に大きな削減効果があります。
金属加工業でのリサイクル促進のポイントは以下の通りです。
特に注目すべきは、Scope3排出量の削減にも寄与する点です。Scope3とは、自社の活動に関連する他社の排出を指し、原料調達・製造・物流・販売・廃棄などに伴う排出が含まれます。金属加工業では、原材料の調達段階でのCO2排出量が全体の大きな部分を占めるため、リサイクル材の活用はScope3排出量の大幅な削減につながります。
先進的な取り組み事例として、ある自動車部品メーカーでは、自社工場から出る金属スクラップを100%回収し、材質ごとに分別した上で素材メーカーに戻すクローズドループリサイクルシステムを構築。さらに、取引先からの製品回収システムも整備し、製品ライフサイクル全体でのCO2削減に貢献しています。
金属リサイクルの推進は、CO2削減だけでなく、原材料コストの削減や資源の有効活用にもつながる一石三鳥の取り組みです。カーボンニュートラル目標達成に向けて、金属加工業者が最も取り組みやすい施策の一つと言えるでしょう。
カーボンニュートラル目標への取り組みは、単なる環境対策ではなく、金属加工業の競争力強化につながる重要な経営戦略です。菅前首相も「気候変動への対応は、我が国経済を力強く成長させる原動力になる」と述べていました。
取り組みがもたらす競争力向上のポイントは以下の通りです。
特に注目すべきは、自動車や電機など大手メーカーが調達先に対してカーボンニュートラルへの取り組みを求める動きが加速していることです。例えば、トヨタ自動車は2040年までにサプライチェーン全体でのカーボンニュートラル達成を目指しており、部品サプライヤーにもCO2削減計画の提出を求めています。
このような状況下で、カーボンニュートラルへの取り組みが遅れると、将来的に取引先から選ばれなくなるリスクがあります。逆に、早期に対応を進めることで、競合他社に対する優位性を確保できます。
また、投資家や金融機関のESG投資基準も年々厳しくなっており、環境対応が遅れている企業は資金調達面でも不利になる可能性があります。一方、積極的に取り組む企業には、グリーンローンやサステナビリティ・リンク・ローンなどの優遇金利での融資も増えています。
実際に、カーボンニュートラルへの取り組みを経営戦略として位置づけ、積極的に推進している金属加工企業では、省エネによるコスト削減と併せて、環境配慮型の新製品開発や環境技術のソリューション提供など、新たな収益源の創出にも成功しています。
カーボンニュートラル目標は「コスト」ではなく「投資」と捉え、自社の競争力強化につなげる戦略的アプローチが求められています。
経済産業省によるグリーン成長戦略と企業競争力向上に関する情報
金属加工業におけるカーボンニュートラル達成は、省エネ、再エネ導入、金属リサイクル、そして経営戦略としての位置づけなど、多角的なアプローチが必要です。2050年の目標達成に向けて、今から計画的に取り組むことで、環境対応と企業成長の両立が可能になります。先進企業の事例を参考にしながら、自社の特性に合った取り組みを進めていきましょう。