カソード分極曲線を「なんとなく眺めるだけ」にしている現場担当者ほど、腐食損傷による修理費用が年間100万円を超えやすいです。
カソード分極曲線とは、金属電極の電位を腐食電位(自然浸漬電位)よりも卑(マイナス)方向に変化させたときに流れる電流密度を測定し、グラフ化したものです。つまり、カソード(還元)反応の速度が電位によってどう変わるかを視覚化した曲線です。
グラフの構造はシンプルです。横軸は電位(E)で、左側が卑な電位(マイナス方向)、右側が貴な電位(プラス方向)を示します。縦軸は電流密度(A/cm²)の絶対値を対数スケールで表示するのが一般的です。対数表示にする理由は、電流値が数桁にわたって変化するため、直線的なスケールでは変化の様子が読み取りにくいからです。
実際の測定では、ポテンショスタットという装置で試料極・参照極・対極の3電極系を組み、電位を一定速度で掃引しながら電流を記録します。参照電極には飽和カロメル電極(SCE)や飽和銀/塩化銀電極(SSE)がよく使われます。読み取った全ての電位値は「参照電極基準」で表記されており、この基準の違いを無視すると値の比較ができなくなるため注意が必要です。
縦軸の単位は「A/cm²」(電流密度)で表記されますが、これは試料の表面積で電流値を割ったものです。試料面積が1〜2 cm²程度のサイズが標準的に使われます。ここが重要なポイントです。面積が正確に算出されていないと電流密度の絶対値がずれるため、測定前の研磨・表面積計測は手を抜いてはなりません。
| 軸・要素 | 内容 | 単位・補足 |
|---|---|---|
| 横軸(電位) | 電極電位(参照電極基準) | V vs. SCE または SSE |
| 縦軸(電流密度) | 電流密度の絶対値(対数スケール) | A/cm²(logスケール) |
| 腐食電位(Ecorr) | アノード電流=カソード電流となる電位 | 自然浸漬電位とほぼ一致 |
| 腐食電流密度(icorr) | Ecorrにおける反応速度 | 腐食速度と直接対応 |
カソード分極曲線の基本構造を把握することが、次の「律速段階の判断」へとつながります。まずここを正しく押さえておくことが基本です。
参考情報(J-STAGE・電気化学/分極曲線測定の基礎)。
カソード分極曲線を正しく読み解く上で最も重要な視点が「律速段階の判断」です。同じカソード反応でも、溶液の種類や条件によって曲線の形状がまったく異なります。これを見分けられないと、腐食速度の推定を大きく誤ることがあります。意外ですね。
電荷移動律速の場合は、電位を卑方向に増加させると電流密度も指数関数的に増加し、log|i|−E グラフ上で直線的な「ターフェル(Tafel)直線」が現れます。炭素鋼を硫酸溶液(酸性環境)中に浸漬した場合がその典型例で、カソード部のTafel勾配は約−120 mV/decadeになることが知られています。これは1桁(10倍)電流が増えるたびに電位が120 mVシフトすることを意味します。
拡散律速の場合は、カソード電流が電位に依存しない「平坦な領域」が曲線上に現れます。これが「拡散限界電流密度(iL)」と呼ばれる領域です。炭素鋼をNaCl中性水溶液中に浸漬した場合がその例で、溶存酸素(O₂)が電極表面に供給される速度が反応速度を律速するため、電位をいくら下げても電流はほぼ一定(10〜20 μA/cm²程度)のままになります。ここが判断ポイントです。
その違いが生まれる理由は溶液中の反応種の濃度差にあります。硫酸中のH⁺濃度は約0.5 mol/L(0.5 M)と非常に高いため、電極表面での反応で消費されても欠乏しません。一方、中性溶液中のO₂の溶解度は25℃でわずか約10⁻⁴ mol/L程度しかなく、反応が始まると電極表面への供給が間に合わなくなります。つまり前者は電荷移動律速、後者は拡散律速です。
現場での実用的な判断基準として、「曲線に直線部が明確に現れるかどうか」を最初に確認することを勧めます。直線が出ない、あるいは著しく傾きが大きい場合は、ルギン管(参照電極接触管)の先端が試料表面から離れすぎている可能性もあります。測定セットアップも疑うことが大切です。
カソード分極曲線単体を眺めるだけでは不十分です。アノード分極曲線と重ね合わせて初めて、「腐食電位(Ecorr)」と「腐食電流密度(icorr)」という2つの重要な値が読み取れるようになります。これを「Evans図(エバンス図)」または「分極図」と呼びます。
Evans図の読み方はこうです。横軸に電位、縦軸にlog|i|をとり、アノード分極曲線(右上がり)とカソード分極曲線(右下がり、または電荷移動律速時は右上がり)を同一グラフ上に重ね合わせます。2本の直線部(ターフェル直線)を外挿した交点が、腐食電位Ecorrと腐食電流密度icorrに対応します。これがターフェル外挿法の核心です。
ターフェル外挿法によって求められた腐食電流密度は、実際の金属溶解速度に変換できます。たとえば炭素鋼を硫酸溶液中に浸漬した場合、腐食電流密度icorr ≒ 1.8×10⁻⁴ A/cm²と求まれば、これは1年間に板厚が約2 mm減少する腐食速度に相当します。名刺の長辺(約9 cm)の1/45程度が1年で削られるイメージです。一方、中性NaCl溶液中では icorr ≒ 1.8×10⁻⁵ A/cm²と10分の1程度になります。数字を見てこそ、環境の違いによる腐食リスクの差が実感できます。
重ね合わせ図から読み取るべき主な情報は以下の通りです。
なお、カソード曲線が拡散律速で電位に依存しない(平坦な)場合は、ターフェル直線が明確に現れないためこの外挿法は適用できません。こうした場合には分極抵抗法(Rp法)など別手法を組み合わせる必要があります。手法の使い分けが腐食評価の精度を左右します。
参考情報(日鉄テクノロジー・アノードカソード分極曲線測定の実例)。
日鉄テクノロジー|電気化学試験(アノード・カソード分極曲線測定)
金属加工の現場でよく扱うステンレス鋼やアルミニウム合金などは、「不動態皮膜」という非常に薄い酸化物皮膜(Ni・Crの場合は約0.3〜1 nm)が表面を覆っているため、高い耐食性を示します。この不動態の挙動を理解するには、アノード分極曲線だけでなく、カソード分極曲線と組み合わせた分極図(Evans図)の読み方が欠かせません。
不動態化金属のアノード分極曲線には特徴的な形状があります。腐食電位Ecorrから電位を貴方向へ上げていくと、まず活性態領域で電流が増加し、ある電位(不動態化電位Ep)で急激に電流が低下します。その後は非常に小さな不動態保持電流(id)が続く「不動態域」が続きます。ステンレス鋼では不動態保持電流は非常に小さい(μA/cm²オーダー)です。これを覚えておけばOKです。
重要なのは、この不動態が安定を保つか否かはカソード曲線との交点(つまり自然浸漬電位の位置)に依存するという点です。カソード分極曲線(酸素還元反応)との交点が活性態域に入ってしまうと金属は積極的に溶解し、不動態域に収まれば安定した耐食性を維持できます。どの位置に交点があるかが判断の鍵です。
さらに塩化物イオン(Cl⁻)が含まれる環境では、ある電位を超えると不動態皮膜が局部的に破壊されて孔食が起こります。この電位が「孔食電位(Vc.PIT)」です。JIS G0577では、NaCl水溶液中でアノード電流密度が10 μA/cm²または100 μA/cm²に達した電位を孔食電位として規定しています。自然浸漬電位が孔食電位よりも貴になる環境では孔食リスクが急激に高まります。厳しいところですね。
すきま腐食の評価では再不働態化電位(ER.CREV)という値も使われます。孔食電位より数百 mV も低電位側で評価されるため、孔食電位だけを見ていると見落としが生じやすいのです。金属加工品が液体環境に触れるボルト締結部やフランジ部などのすきまは、特にこの再不働態化電位を指標にした評価が不可欠です。
教科書には書かれていない現場目線の話をします。カソード分極曲線の測定そのものは比較的容易ですが、「再現性のある正確なデータ」を得ようとすると、数多くの落とし穴があります。
まず試料の前処理です。表面をエメリー紙の800番程度まで研磨し、超音波洗浄してから電解液に浸漬します。自然浸漬電位が安定するまでに通常15〜30分程度かかります。この待ち時間を省略してすぐに分極を始めると、電位が安定していない状態でのデータになり、腐食電位の値がずれます。焦りは禁物です。
次に、参照電極の位置(ルギン管先端と試料表面の距離)です。先端が試料表面から離れすぎると溶液抵抗(IR降下)の影響を強く受け、見かけ上のターフェル勾配が通常より大きく見えてしまいます。理想的には試料表面にできるだけ近づけること(数mm以内)が原則です。
また見落とされやすいのが「電位走査速度」の影響です。走査速度を速くしすぎると、電極表面が真の定常状態に到達する前にデータを取ってしまうことになります。実用的には25 mV 間隔で各電位に30秒以上保持してから電流を読む「定電位ステップ法」が推奨されています。連続掃引法を使う場合でも、走査速度は毎分0.5〜1 mV/s 程度にとどめることが望ましいです。
さらに、分極曲線測定は「現在の表面状態」での腐食速度を評価するものという点も押さえておく必要があります。溶液に浸漬することで表面に酸化皮膜が形成・変化していく材料では、時間の経過とともに曲線の形状が変わります。測定結果だけで長期的な寿命予測を行うには限界があり、浸漬試験や他の電気化学手法(交流インピーダンス法など)との併用が現実的です。これは使えそうです。
測定精度にこだわることで、腐食電流密度の推定誤差を大幅に減らせます。腐食速度の見積もりが1桁ずれると材料選定や設備寿命の判断が根本から変わります。現場で信頼できる評価データを得るための準備を丁寧に行うことが、長期的なコスト削減に直結します。
参考情報(コベルコ科研・分極曲線測定による腐食速度評価の最新事例)。
コベルコ科研|分極曲線測定による様々な環境中での腐食速度の測定
参考情報(溶接学会・腐食の電気化学と局部腐食の概論)。
溶接学会|腐食の電気化学概論(PDF)