高速度鋼(High-speed steel)は、金属加工において切削工具の材質として広く使用されている特殊鋼です。その名称が示す通り、より高速での金属材料の切削を可能にするために開発されました。英語の"high-speed steel"から「ハイス」と略して呼ばれることも一般的です。
高速度鋼の歴史は古く、フォード式の大量生産を実現するための不可欠な工具用鋼材としてTaylorとWhiteによって開発されました。当時の製造業において、効率的な金属加工を可能にする革新的な材料でした。
基本的な特性として、高速度鋼は高炭素鋼に様々な合金元素を含有させた鋼であり、この配合によって通常の鋼材よりも著しく高い硬度と耐熱性を持っています。ビッカース硬さは約722HVと非常に高く、一般的な炭素鋼S45Cの201-269HVと比較すると、その硬度の高さが際立ちます。
高速度鋼の使用可能温度は約600℃までとされています。この温度を超えると、鋼の硬さが急激に低下するため、切削点の温度管理が重要になります。ただし、この温度範囲内であれば、ほとんどの工作物材質に対して使用できるという汎用性の高さも特徴です。
高速度鋼は、以下のような優れた特性を持っています。
このような特性から、ドリル、エンドミル、タップ、リーマー、フライス、バイトなど、様々な切削工具の材料として広く使用されています。特に、複雑な形状の工具や、頻繁に研磨が必要な工具には高速度鋼が適しています。
高速度鋼には主にタングステン系とモリブデン系の2種類があり、それぞれ特徴が異なります。用途や切削条件に応じて最適な種類を選択することが重要です。
タングステン系は歴史的に古くから使用されてきた高速度鋼です。約18%のタングステンと約4%のクロムを含有しており、耐熱性と耐摩耗性に優れています。しかし、タングステンは希少な金属であるため、比較的コストが高いという特徴があります。
主な特徴。
モリブデン系はタングステン系の廉価版として開発されました。約5%のモリブデンと約6%のタングステンを含有しています。タングステン系に比べて硬さと粘性に優れ、衝撃に強いという特性があります。この特性から、ドリルなど衝撃のかかる工具に多く使用されています。
主な特徴。
また、両系統ともにコバルトを添加することで、耐摩耗性をさらに高めることができます。コバルト添加型は、より過酷な条件下での使用や摩耗性の強いものを加工する際に選ばれることが多いです。
以下の表で、各種高速度鋼の特性を比較してみましょう。
種類 | 主な成分 | 特徴 | 主な用途 |
---|---|---|---|
タングステン系 | W: 約18%, Cr: 約4% | 耐熱性・耐摩耗性が高い | 切削工具全般 |
モリブデン系 | Mo: 約5%, W: 約6% | 硬さ・粘性に優れ、衝撃に強い | ドリル、エンドミル |
コバルト添加型 | Co: 5-12%追加 | 耐摩耗性がさらに向上 | 高硬度材の加工工具 |
高速度鋼の種類選定には、加工対象の材料や切削条件、求められる工具寿命などを考慮する必要があります。特に高硬度材料を加工する場合や、切削速度が速い場合には、耐摩耗性の高いタイプを選ぶことが重要です。
高速度鋼の製造工程において、熱処理は極めて重要なプロセスです。この熱処理によって、高速度鋼の性能が大きく左右されます。適切な熱処理を施すことで、硬度と靭性を両立させることができます。
高速度鋼の熱処理の特徴は、溶体化温度をオーステナイト(γ)域の固相線直下まで高めることにあります。これにより、基地のオーステナイトに炭素や炭化物形成元素を多量に固溶させることができます。その後、焼入れを行ってマルテンサイト基地に炭化物を分散させ、さらに焼戻しによって最適な硬さとじん性を持つ組織を形成します。
標準的な高速度鋼の熱処理プロセスは以下の通りです。
この一連のプロセスによって、硬さとじん性が両立でき、切削工具として使用した際の刃先の摩耗や欠けを効果的に抑制することができます。特に、γ化温度でのγ基地に未固溶の炭化物の寸法や分布が、工具のじん性に大きな影響を与えることが知られています。
炭化物の役割は非常に重要です。高速度鋼に含まれる炭化物は、主にタングステン、モリブデン、バナジウム、クロムなどの合金元素と炭素が結合したものです。これらの炭化物が均一に分散することで、高い耐摩耗性と硬度を実現しています。
炭化物の種類と役割。
冷間鍛造用の高速度工具鋼など、特に高いじん性が求められる用途では、未固溶の炭化物量を低める設計が行われています。これは、粗大な炭化物が工具の靭性を損なう可能性があるためです。
近年の高速度鋼開発では、微細で均一な炭化物分布を実現するための製造プロセスの改良が進んでいます。パウダーメタラジー法(粉末冶金法)による製造も増えており、この方法では従来の溶解・鋳造法よりも均一な組織を得ることができます。
金属加工の現場では、高速度鋼と超硬合金が二大主要工具材料として広く使用されています。ここでは、両者のコストパフォーマンスを比較し、それぞれの適用場面について考察します。
超硬合金は1700-2050HVという、高速度鋼の約3倍の硬度を誇り、切削加工において最も使用頻度が高い工具材料です。その優れた硬度と耐摩耗性から、高速・高能率な加工に適しています。しかし、その反面、価格が高くて脆いという特徴があります。
一方、高速度鋼は超硬合金ほどの硬度はありませんが、1つあたりの価格が安く、研削機での再研磨が容易であるというメリットがあります。このため、試作品や1点ものの加工など、加工時間をそれほど追求しない場面では、超硬工具よりもコストパフォーマンスに優れていると言えます。
コスト比較。
項目 | 高速度鋼 | 超硬合金 |
---|---|---|
初期コスト | 低い | 高い |
工具寿命 | 短い | 長い |
再研磨コスト | 低い | 高い |
加工速度 | 遅い | 速い |
総合的なコスト効率 | 少量多品種生産に有利 | 大量生産に有利 |
以下のような状況では、高速度鋼が超硬合金よりも優位性を持ちます。
一方、以下のような状況では超硬合金が有利です。
選択の際は、加工条件、被削材、生産量、コスト制約などを総合的に考慮することが重要です。多くの加工現場では、超硬工具をメインに使用しながらも、状況に応じて高速度鋼工具を使い分けるという方法が採られています。
また、近年ではコーティング技術の進歩により、高速度鋼の表面に硬質膜(TiN、TiCN、TiAlNなど)をコーティングした工具も増えています。これにより、高速度鋼の靭性を維持しながら、表面硬度と耐摩耗性を向上させることが可能になっています。
2025年4月現在の高速度鋼関連企業の注目ランキングでは、以下のメーカーが上位に位置しています。それぞれのメーカーが持つ特徴や注目製品についても紹介します。
高速度鋼の製造において長い歴史と確かな技術力を持つメーカーです。2025年では特に耐摩耗性と靭性のバランスに優れた新製品ラインナップが注目されています。同社の高速度鋼は、特に精密加工用の小径工具において高い評価を得ています。
注目製品。
特殊鋼製造の老舗として知られ、高速度鋼においても高品質な製品を提供しています。最近では環境に配慮した製造プロセスも評価されています。同社の製品は特に航空機部品加工などの高精度が要求される分野で使用されています。
注目製品。
高靭性マトリックス型ハイスを開発・製造するメーカーです。熱間工具鋼では得られなかった高硬度と高靭性を実現したマトリックスハイスが特に注目されています。同社の製品は、温間・冷間圧造工具をはじめとする過酷な条件下での使用に適しています。
特に同社の「高靭性・高硬度マトリックス型ハイス」は、従来のマトリックスハイスの特性を更に向上させた製品として、金属加工業界から高い関心を集めています。顧客対応の迅速さも特徴で、返信の早さ(平均返答時間0.3時間)と100.0%の返答率を誇り、顧客サービスの面でも高評価を得ています。
不二越の精密型用鋼DUROシリーズも、独自の溶解・精錬技術により靱性と耐摩耗性のバランスに優れる製品として注目されています。精密金型や複雑形状の切削工具に適しています。
高速度鋼の選定にあたっては、以下のポイントを考慮することが重要です。
適切な高速度鋼を選ぶことで、加工効率の向上、工具コストの削減、製品品質の安定化を図ることができます。各メーカーのカタログやテクニカルサポートを活用し、自社の加工条件に最適な高速度鋼を選定することをお勧めします。
特に小ロット多品種生産が主体の工場では、汎用性の高い高速度鋼と、特定用途に特化した超硬工具を適材適所で使い分けることで、全体的なコストパフォーマンスを向上させることができるでしょう。