FFT分析だけで異常を見逃し、1回の突発停止で775万円の損失が出ることがあります。

「スペクトルのスペクトル」という言葉を聞いて、首をかしげる方も多いかもしれません。ケプストラム分析(Cepstrum Analysis)とは、時間信号をフーリエ変換して得たパワースペクトルの対数値を、さらにもう一度フーリエ変換する信号処理手法です。つまり通常のFFT分析を2段階重ねた形になります。
この「二重変換」によって何が得られるのか、順を追って整理します。
まず通常のFFT分析では、時間軸の波形を周波数成分に分解します。ところが回転機械では、歯車の噛み合い周波数やその高調波が規則的に並んだ「サイドバンド群」が発生します。このサイドバンド群は、スペクトル上に等間隔のピークとして現れますが、ノイズに埋もれて識別が困難なことが少なくありません。つまり単純なFFTでは見落とすケースがあります。
ケプストラム分析ではここに着目します。スペクトルの対数を取ることで、積の関係にある信号成分が「和」の形に変換されます(対数の性質)。その上で再度フーリエ変換を施すと、スペクトル内の「周期的なパターン」が明瞭なピークとして浮かび上がります。これがケプストラムです。
横軸は「時間」に戻りますが、通常の時間波形の時間とは意味が異なります。そのため専門用語で ケフレンシー(quefrency) と呼ばれます。「frequency(周波数)」のアナグラムで、1963年にBogertらが命名した造語です。意外ですね。
また、ケプストラム上で帯域を制限する操作を リフタリング(liftering) と呼びます。これは「filter(フィルタ)」のアナグラムで、ローパスリフタをかけて周波数軸に戻すと、スペクトルの包絡線(エンベロープ)を取り出せます。これをリフタードスペクトルと言います。
処理の流れをまとめると以下のようになります。
| 手順 | 操作 | 得られるもの |
|---|---|---|
| ① | 時間信号をFFT | パワースペクトル |
| ② | 対数変換 | 対数パワースペクトル |
| ③ | 再度フーリエ変換 | ケプストラム(横軸:ケフレンシー) |
| ④ | リフタリング+逆変換 | スペクトル包絡(リフタードスペクトル) |
これが原則です。「スペクトルの周期性を見る」という発想が、ケプストラム分析の核心にあります。
なお「ケプストラム(cepstrum)」という名称自体が「スペクトラム(spectrum)」のアナグラムです。最初の4文字 "spec" を逆にして "cep" にした造語であり、この手法の遊び心ある出自を示しています。
小野測器:基礎からの周波数分析(31)ケプストラム解説PDF(ケフレンシー・リフタリング・スペクトル包絡の説明が丁寧)
「うちの工場ではFFT分析をずっとやってきたから十分だ」と思っている方は少なくありません。しかし実際には、FFT分析とケプストラム分析では得意な情報の種類がまったく異なります。
FFT分析が得意なのは、個々の周波数成分の大きさを把握することです。たとえばモーターの回転数に対応する基本周波数や、特定の部品の共振周波数など、「どの周波数が強いか」を見るのに向いています。
一方ケプストラム分析が光るのは、スペクトルの中に隠れた「周期的パターン」を抽出する場面です。金属加工機械の歯車が摩耗・損傷すると、振動スペクトルには歯車の噛み合い周波数を中心に等間隔のサイドバンドが多数現れます。このサイドバンドは規則的な間隔を持つため、ケプストラム分析では特定のケフレンシー位置に明瞭なピークとして検出できます。これは使えそうです。
具体的に比較してみましょう。
| 項目 | FFT分析 | ケプストラム分析 |
|---|---|---|
| 横軸の単位 | 周波数(Hz) | ケフレンシー(ms) |
| 得意な解析 | 個別周波数の強度把握 | スペクトルの周期構造の抽出 |
| 歯車診断 | サイドバンドが多いと判読困難 | サイドバンド間隔を1点のピークで表示 |
| ノイズへの強さ | ノイズに埋もれやすい | 周期成分のみ強調される |
| フィルタ操作 | フィルタ(filter) | リフタ(lifter) |
FFT分析では複雑に重なったサイドバンドを1本1本読み解く必要があり、熟練した技術者でなければ正確な判断が難しいのが実情です。ケプストラム分析ならそのサイドバンドの間隔(すなわち異常の発生源の回転周波数)を、ケフレンシー上の1つのピークとして読み取れます。
金属加工行従事者として覚えておきたいのは、「FFTは何が起きているかを大まかに見る」「ケプストラムは何が繰り返し起きているかを掘り下げる」という使い分けです。
両者の組み合わせが原則です。FFTで異常周波数帯を特定し、ケプストラムでその周期構造を精密に確認するという流れが、現場での設備診断において高い精度を発揮します。
A&D:音響振動用語辞書(ケプストラム・ケフレンシーの定義を確認できる)
金属加工の現場では、工作機械・プレス機・コンベア・ポンプなど多数の回転機械が稼働しています。これらの機械には必ず軸受(ベアリング)と歯車が使われており、消耗や損傷が進むと振動パターンに変化が生じます。
軸受の異常はどのように現れるのでしょうか?
ベアリングに傷や摩耗が生じると、転動体が傷部を通過するたびに微小な衝撃が発生します。この衝撃は数kHz以上の高周波帯域に特徴的な信号として現れ、さらに軸の回転に同期した変調(サイドバンド)を生じます。ケプストラム分析では、このサイドバンドの間隔を「軸受特性周波数の逆数=ケフレンシー上のピーク」として検出できます。
歯車の異常も同様です。歯車の噛み合い周波数(GMF:Gear Mesh Frequency)の周囲に等間隔のサイドバンドが生じた場合、FFTではこれらが複数のピークとして分散して見えます。しかしケプストラムではこの間隔(たとえば軸回転周波数の逆数 = 何msか)が1点のピークとして現れるため、歯車のどの軸に問題があるかを特定しやすくなります。
ここで1つ重要なポイントがあります。信号のケフレンシー値(ms)は、異常の発生源を特定する「鍵」になります。たとえば回転数が1800 rpmの場合、1回転は約33msです。ケプストラムで33ms付近にピークが出れば、その軸に1回転に1回の衝撃が発生していることを示します。
実際の活用の流れとしては、まず振動センサを測定ポイント(軸受ハウジングなど)に取り付け、加速度信号を収録します。次にFFT解析でおおまかな周波数帯域を確認し、異常が疑われる帯域に対してケプストラム計算を実施します。ケフレンシー上のピーク位置から対応する周波数(1/ケフレンシー)を算出し、軸受やギアの特性周波数と照合します。これが一連の流れです。
この手法が特に有効なのは、「早期異常段階」です。末期異常では振動全体が大きくなりFFTでも確認できますが、初期の微小な異常サインはケプストラム分析でしか拾えないことがあります。こうした早期発見が、大規模な突発故障を防ぐことにつながります。
ジュンツウネット21:回転機械の振動診断法(簡易診断・精密診断の手順を詳述)
突発故障は怖い、でもどれくらいの損失が出るのか実感しにくい、という方も多いかと思います。具体的な数字を見てみましょう。
2026年2月に公表された調査によると、製造業における突発停止・故障による1回あたりの平均損失額は約775万円と試算されています。これは修理費だけではなく、生産停止によるライン損失、納期遅延リスク、緊急対応の残業費なども含んだ数字です。
設備の突発故障には、修理部品代や修理作業の人件費といった直接コストに加え、「ラインを止めた時間分の製品が作れなかった機会損失」が乗ってきます。1時間の停止で売上損失が100万円規模になるケースも珍しくありません。
ケプストラム分析を活用した予知保全には、大きく3つの場面でメリットがあります。
ある化学メーカーでの事例では、予知保全の導入により計画外保全コストを約58%削減したという報告もあります。保全費が毎年かかるコストとして固定されているなら、その削減効果は年単位で積み上がります。
「センサを1台買えばケプストラム分析ができるのか?」というと、実際には分析ソフトや計測器との組み合わせが必要です。JFEプラントエンジや新川電機などが提供するCMS(Condition Monitoring System)は、回転機械の振動を常時監視しながらケプストラムを含む複合的な解析を行えます。まず自社の設備に適した計測ポイントを確認することが、具体的な第一歩になります。
JEPICO:製造設備の突発故障を防ぐ予知保全の解説(振動センサと診断の連携事例)
金属加工とは全く関係ないように思える「音声分析」の技術が、実は設備診断の精度を高める鍵になっています。これは意外ですね。
ケプストラム分析はもともと1963年に地震や爆発のエコー(残響)特性を調べるために考案された手法です。その後、音声分析の分野で「声帯の振動情報」と「声道の形状情報」を分離するために広く使われるようになりました。この2つの情報が「高周波数帯のケプストラム成分」と「低周波数帯のケプストラム成分」に対応するという性質を利用しています。
人間の声が持つ構造(音源+フィルタ)と、回転機械が持つ構造(インパルス状の衝撃信号+機械構造の伝達特性)は、信号処理上の数学的モデルが非常によく似ています。
どちらも「入力×伝達特性=出力」という畳み込みモデルで記述できます。ケプストラム分析では、この畳み込みを「ケプストラム上の加算」として分離できるという数学的性質(対数をとることで積が和に変わる性質)が活かされています。
このモデルが共通しているため、もともと音声処理で培われた理論や実装が、そのまま機械診断に転用できます。現在では音声認識で使われるMFCC(メル周波数ケプストラム係数)の技術を応用した、工場ノイズ・異常音の識別システムの研究も進んでいます。
つまり「声紋認識」と「設備の健康診断」は、同じ数学的基盤の上に立っています。「音声処理の技術が回転機械の保全に使える」という事実は、技術の垣根を越えた知識の応用を考えるうえで非常に示唆的です。
金属加工の現場では、加工中の切削音・打刻音・研削音なども振動信号と並行して計測する事例があります。これらにもケプストラムの考え方は応用でき、工具摩耗の異常音パターン検出や、加工不良品のリアルタイム判定への活用が試みられています。
Wikipedia:ケプストラム(起源・定義・メル周波数ケプストラムとの関係など詳細な解説)
理論がわかっても、実際にどうやって現場で使うのかがわからなければ意味がありません。ここでは実践的な手順と、ツール選びの基準を整理します。
ステップ1:測定ポイントの選定
振動センサは、診断したい部品(軸受ハウジング・ギアボックスなど)にできるだけ近い場所に設置します。一般的には水平方向(H)・垂直方向(V)・軸方向(A)の3方向で計測するのが基本です。軸受異常は水平・垂直方向に強く出ることが多く、軸ミスアライメントは軸方向に特徴が現れやすいとされています。
ステップ2:加速度信号の収録
軸受の傷に起因する衝撃信号は、数kHz以上の高周波帯に現れます。このため振動センサのサンプリング周波数は少なくとも20kHz以上、できれば40kHz以上を確保することが望ましいとされています。測定時間が短すぎると周波数分解能が落ちるため、最低でも1秒以上の連続収録が必要です。
ステップ3:FFTとケプストラムの実施
まずFFTで全体のパワースペクトルを確認します。異常が疑われる周波数帯(たとえばベアリングの欠陥周波数が推定される帯域)に注目し、その帯域でバンドパスフィルタをかけた後にケプストラム計算を行うと、周期成分が見やすくなります。ケフレンシー上に現れたピークの位置(ms)から、その逆数(Hz)を計算し、軸の回転周波数やベアリングの特性周波数と照合します。
ステップ4:傾向管理
1回の測定ではなく、定期的に計測してケプストラムのピーク値を記録します。傾向(トレンド)として増加していれば、異常が進行しているサインです。突然の急上昇があれば、早急な点検が必要です。
計測ツールについては、専用のCMS(状態監視システム)を導入するほかに、ポータブル型振動計測器を使う選択肢もあります。小野測器・リオン・A&Dなどが販売する FFTアナライザにはケプストラム機能が搭載されているモデルがあります。また、Pythonや MATLABでも数十行のコードでケプストラム計算が実装可能です。自社の設備数や予算に応じて選択するとよいでしょう。
ケプストラムが特に有効な対象をまとめると以下のとおりです。
設備診断は「定期点検の一環」として行うだけでなく、常時監視の仕組みを作ることで、より精度の高い予知保全が実現します。IoTセンサとクラウド解析を組み合わせた仕組みを導入すれば、現場担当者がリアルタイムでケプストラムの傾向を確認できる環境も構築できます。
リオン株式会社:設備診断(振動法)の基礎解説(振動センサの選定・測定方法・判定基準を詳述)