スピン素子とは、電子の持つ電気的性質(電荷)に加えて、磁気的性質(スピン)を同時に利用する革新的な電子デバイスです 。従来のエレクトロニクスが電子の移動による電流のみを活用していたのに対し、スピン素子は電子のスピンという量子特性を情報の担い手として扱います 。電子スピンは、電子が持つ内在的な角運動量であり、量子力学的な性質を示します 。
参考)記憶と演算の機能を併せ持つ革新的スピン素子
スピン素子の最大の特徴は、電子のスピンが上向きか下向きかによって異なる磁気的な性質を持つことです 。この性質を活用することで、より高いデータ処理速度や大幅な低消費電力を実現できます 。スピンは永久運動するコマのようなもので、外部エネルギーの補給が不要であり、外部エネルギーが加わらない限り同じ向きを保持します 。
参考)スピントロニクスを分かりやすく解説!革新的な次世代技術の全貌…
特に2025年2月に東北大学が発表した研究では、記憶と演算の機能を併せ持つ革新的スピン素子の開発に成功しており、省エネAIチップなどへの応用が期待されています 。この技術は、AIの普及に伴い高まる省エネハードウェア技術の需要に応える重要な技術として位置づけられています 。
参考)記憶と演算の機能を併せ持つ革新的スピン素子を開発
GMR(Giant Magnetoresistance:巨大磁気抵抗)効果は、スピン素子の基本原理の一つです 。GMR素子は、非磁性金属(Cuなど)のスペーサ層を2層の強磁性体層で挟んだ構造の薄膜素子として構成されます 。1988年にFe・Cr人工格子において発見され、磁性体素子の研究が飛躍的に進歩しました 。
参考)トンネル磁気抵抗効果 - Wikipedia
GMR効果では、片方の強磁性体層が磁化の向きが固定されたピン層(固定層)となり、もう片方の強磁性体層は外部磁界に応じて磁化の向きが変わるフリー層として機能します 。2層の強磁性体の磁化が平行状態のときに電気抵抗が最も小さくなり、反平行状態では抵抗が大きくなります 。
参考)https://www.tdk.com/ja/tech-mag/front_line/004
GMR素子は全金属の磁気抵抗素子のため、素子自体への通電電流が作る磁界やジュール熱によって磁化反転を補助することが可能です 。ただし、素子抵抗が小さいため、読出し電圧が微弱であり、サンプルホールド回路を用いた自己参照読出し等のSN改善技術が必要です 。Co₂MnSi(CMS)ホイスラー合金を用いたCPP-GMR素子では、低温で約2000%、室温でも300%以上の巨大磁気抵抗効果を達成しています 。
参考)https://www.sp.fukuoka-u.ac.jp/section/solid1/manago/GMRTMR.pdf
TMR(Tunnel Magnetoresistance:トンネル磁気抵抗)効果は、GMRを上回る性能を示すスピン素子技術です 。TMR素子は、1~2nmのきわめて薄い絶縁体バリア層を2層の強磁性体層で挟んだ構造の薄膜素子です 。絶縁体を挟む二層の強磁性体の磁化の向きによって電気抵抗が変化する現象を利用します 。
参考)磁気抵抗と巨大磁気抵抗:磁場をかけると電気の流れやすさが変わ…
1975年にFe・Ge・Coの接合膜において初めて報告されたTMR効果は、1995年に東北大のMiyazakiらが良質のアモルファス絶縁膜を使用して18%に達するTMRを実現したことで実用化への道が開けました 。TMR効果は量子力学的なトンネル効果を利用しており、電子が絶縁体中をトンネルする間は散乱される可能性が低いため、スピンが保存されます 。
TMR素子の性能は使用する材料によって大きく左右されます。MgO(酸化マグネシウム)をトンネル障壁層に用いると、大きな磁気抵抗効果が得られることが産総研やIBM、キヤノンアネルバにより発見されています 。TMR素子の出力はAMR素子の20倍、GMR素子の6倍にも及び、きわめて高感度な磁気センサとして活用されています 。
参考)スピン注入磁気共鳴を利用したスピントルクダイオードを開発−高…
MRAM(Magnetoresistive Random Access Memory:磁気ランダムアクセスメモリ)は、スピン素子技術を応用した次世代不揮発性メモリです 。電子のスピン状態を用いて情報を記憶するため、電源を切ってもデータが消失しない特徴があります 。従来のSRAMやDRAMなどの半導体ワーキングメモリと比較して、システムの消費電力を1/100程度に低減できる可能性があります 。
参考)https://www.tdk.com/ja/tech-mag/ninja/108
MRAMには複数の書き込み方式が存在し、最近広く使われているのがSTT(Spin Transfer Torque)-MRAMです 。STT-MRAMの記憶素子は磁気トンネル接合(MTJ:Magnetic Tunnel Junction)構造を基本とし、スピン転送トルクを利用して磁化反転を行います 。さらに新しい技術として、SOT(Spin Orbit Torque)-MRAMも開発されており、東北大学では書き込み電力を35%削減することに成功しています 。
参考)MRAMについて|パワースピン株式会社
MRAMは高速動作が可能で書き換え回数に制限がないため、現在のワーキングメモリの置き換えが期待されています 。特にスピン軌道トルク磁化反転を用いた方式では、原理的に従来のMRAMより10倍程度速い1ナノ秒レベルでの磁化制御が可能です 。
参考)共同発表:新構造磁気メモリ素子を開発~スピン軌道トルク磁化反…
ノンコリニア反強磁性体を用いたスピン素子は、従来の強磁性体とは異なる革新的な特性を持ちます 。この材料は、マクロには磁力を持たないが電気的には磁石と似た性質を示す特殊な磁性体です 。東北大学の研究では、ノンコリニア反強磁性体と強磁性体の積層構造において「双方向制御」を実現することに成功しました 。
参考)記憶と演算の機能を併せ持つ革新的スピン素子を開発 ...
Mn₃Snなどのノンコリニア反強磁性体薄膜では、巨大な異常ホール効果や磁気光学カー効果が発現し、スピン軌道トルクによる磁化反転だけでなく、従来の磁気秩序には見られなかった回転効果も観測されています 。この現象により、メモリ、乱数発生器、発振素子などの新規スピントロニクス素子への応用が期待されています 。
参考)KAKEN href="https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-20K22409/" target="_blank">https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-20K22409/amp;mdash; 研究課題をさがす
ノンコリニア反強磁性体スピン素子の特徴は、ある電流領域では反強磁性体で強磁性体を制御し、別の電流領域では強磁性体で反強磁性体を制御できる「双方向制御」機能です 。この技術により、AI処理で多く用いられる積和演算を高効率に処理する省エネAIチップの実現が可能となります 。
金属加工業界においてスピン素子技術は、精密加工や品質管理の分野で革新的な影響をもたらす可能性があります。TMRセンサを活用した高感度磁気センサは、従来のホール素子に代わる自動車のギアトゥースセンサや角度センサとして実用化が進んでいます 。これらのセンサは、金属加工機械の位置検出や回転制御において、より高精度な制御を可能にします。
参考)https://www.tdk.com/ja/tech-mag/hatena/037
スピン素子技術の省エネ性能は、金属加工工場のエネルギー効率改善にも貢献します。MRAMを用いた制御システムでは、電源を切っても設定データが保持されるため、機械の頻繁な起動停止による電力損失を大幅に削減できます 。特に大型の金属加工設備では、制御系の省電力化による運用コスト削減効果は大きくなります。
参考)スピンを利用した半導体メモリー「MRAM」とは?原理や活用分…
さらに、スピン素子の超高速応答特性は、精密切削や溶接プロセスにおけるリアルタイム制御の精度向上に寄与します。1ナノ秒レベルでの磁化制御技術 は、高周波制御が求められる精密加工装置において、従来の半導体デバイスでは実現困難だった応答速度を提供します。これにより、加工精度の向上と加工時間の短縮を同時に実現できる可能性があります。