1980年代のアメリカは依然としてリン鉱石採掘の最大手でした。1980年時点でアメリカの採掘量は54.4百万トンであり、世界全体の30%以上のシェアを占めていました。しかし、その後は採掘量が徐々に減少し、1985年には50.8百万トンまで低下しています。この減少傾向の主な原因は、フロリダ州での環境保護規制の強化と採掘コストの上昇にあります。
フロリダ州は世界有数のリン鉱石産地でしたが、採掘による環境破壊への対策が進められるにつれ、採掘規制が厳しくなっていきました。また、採掘技術の発展や労働費の上昇も生産コストを押し上げる要因となりました。この状況に対応するため、アメリカはペルーのリン鉱山を開発し、採掘されたリン鉱石の半分以上をアメリカに輸出させるという戦略を取りました。この国際的な資源確保の動きは、単一国での採掘に依存することの限界を示しており、グローバルなサプライチェーン構築の先駆けとなりました。
当時、フロリダ州を中心とした米国企業が直面していた経営課題は、今日の資源ナショナリズムの時代にあっても参考になる重要な事例です。
1980年代から中国は世界リン鉱石採掘量の首位を維持してきました。中国のリン資源は主に南西地域の雲南省、貴州省、四川省、湖北省に集中しており、経済的採掘可能な埋蔵量は約13億トンと推定されていました。採掘されたリン鉱石は堆積岩系の水酸化フッ素リン灰石で、リン含有量は26~32%でしたが、高品質のものが少なく、採掘後は選鉱を経て20~25%の精鉱として出荷されました。
興味深いことに、中国はリン資源が世界全体の12%しかないにもかかわらず、年間採掘量が世界一で、世界全体採掘量の約25~30%も占めていました。これは、限定された資源を最大限に活用する採掘戦略と、旺盛な国内需要に支えられていました。当時、中国の主要なリン鉱山企業としては、雲南省の雲天化、貴州省の貴州燐化、湖北省の湖北興発などの国営企業がありました。
しかし、この高い採掘レベルを続けた場合、採掘可能年数はわずか50年程度という危機的状況にありました。そのため、中国は1970年代以降、資源保護のために採掘量を徐々に減らし、主にエジプトなどの外国からリン鉱石を輸入するようになっていきました。この転換は、長期的な資源戦略の重要性を示す重要な決定でした。
1980年代において、北アフリカはリン鉱石の主要な供給地域として確立されていました。モロッコと西サハラはリン鉱石の埋蔵量が73億トンと世界最大で、経済的採掘可能な埋蔵量も60億トンに達していました。モロッコと西サハラのリン鉱石はすべて堆積岩系フッ素リン灰石で、品質が非常に良く、リン含有量は33~37%でした。
モロッコ国営企業OCP(モロッコリン鉱公社)は、当時年間リン鉱石採掘能力が1000万トンを超えており、実採掘量も800万トン程度でした。同社はすべて露天採掘で、良質のリン鉱石しか採掘しないため、ほとんど選鉱の必要がありませんでした。採掘されたリン鉱石の50~60%は国内でリン酸肥料やリン酸塩に加工されて輸出されましたが、残りの40~50%はリン鉱石のまま輸出されました。
エジプトのリン鉱石埋蔵量は約23億トンで、すべて堆積岩系フッ素リン灰石でした。年間採掘量は約600万トンで、うち約350万トンが輸出されました。チュニジアの埋蔵量は約8.5億トンで、年間採掘量は約350万トンでした。これら北アフリカの国々が合わせて世界のリン鉱石埋蔵量の約75%を占めており、1980年代の国際リン鉱石市場に極めて重要な影響を与えていました。
ソ連は1980年代において、アメリカと中国に次ぐ第三位のリン鉱石生産国でした。ソ連のリン資源は約38億トンで、そのうち75~80%は北西部ムルマンスク州のコラ半島に存在していました。これらはすべて火成岩系リン灰石で、リン含有量は15~30%でしたが、結晶が緻密で、選鉱が非常に容易でした。選鉱された精鉱のリン含有量は最大38%に達し、世界最良のリン精鉱と言われていました。
ソ連はコラ半島に3ヶ所のリン鉱山を所有し、採掘量は年間100万トン以上でした。採掘されたリン鉱石の50%が自社内でリン安や化成肥料の生産に供され、残りの50%が輸出されました。
ヨルダンのリン鉱石埋蔵量は約15億トンで、すべて堆積岩系フッ素リン灰石でした。鉱床はヨルダン南部にあり、サウジアラビアに伸びていました。鉱床の厚さは5~8メートル、リン含有量は26~30%で、選鉱が必要でした。ヨルダン国営企業のアラビアンリン鉱公社は、年間採掘量が約250万トンで、採掘されたリン鉱石は選鉱を経て、半分は国内でリン酸に加工され、残りの半分は輸出されました。
1980年代は、太平洋島嶼地域のリン鉱石採掘産業が急速に衰退していった時期でもありました。ナウル島は1980年代の採掘量の最盛期にあり、国家経済に大きく依存していました。同時期、ナウルは「世界で最も豊かな国」と形容されるほどの経済的繁栄を享受していました。ナウル共和国は1970年にナウルリン鉱石会社(NPC)を設立し、採掘事業を国営化してから、最盛時には年間239万トンものリン鉱石を生産していました。
一方、バナバ島(オーシャン島)では資源枯渇が進行していました。バナバ島のリン鉱石は1900年から採掘が開始されましたが、1979年に資源が完全に枯渇し、採掘が終了しました。マカテア島(仏領ポリネシア)も1966年には採掘を終了していました。
このように、太平洋島嶼地域のリン鉱石採掘は、100年近くにわたる集約的な採掘によって資源が急速に枯渇し、1980年代には産業としての衰退が明らかになっていました。一方、北アフリカと中国、アメリカの産出国シェアが急速に拡大していたのです。この転換は、グローバルな資源供給の地理的変化を象徴しており、先進国の政策決定にも大きな影響を与えました。
1980年代のリン鉱石市場は、地理的なシフト、採掘技術の進化、環境規制の強化、そして資源ナショナリズムの高まりという複数の要素が交錯した極めて複雑な時期でした。
太平洋島嶼地域におけるリン鉱石採掘の歴史と現在について:この記事は太平洋のナウル島、バナバ島、マカテア島などでのリン鉱石採掘の歴史的経緯と、各島の住民への影響について詳しく解説しています。グアノ採掘から現代までの長期的な流れが理解できます。
世界リン資源の分布と開発についての業界レポート:このレポートは1980年代のデータを含めて、世界各国のリン鉱石採掘量、埋蔵量、採掘企業の詳細な情報を提供しています。中国、アメリカ、北アフリカ各国の具体的な採掘量推移が確認でき、市場分析に有用です。