無電解ニッケルメッキの膜厚管理の基本は、JIS規格による7つの等級分類です。素地金属が鉄・銅・アルミニウムなど一般的な金属の場合、以下の基準が適用されます。
1級では最小膜厚3μmではんだ付けに適した薄膜処理、2級は5μmで防食性とはんだ付け性の両立を狙う設定です。3級から6級では耐摩耗性や高い防食性が必要な用途に対応し、最高等級の7級では50μm以上の厚膜で極めて厳しい環境での使用を想定しています。
JIS規格は単なる推奨値ではなく、日本のあらゆる産業で適用される統一基準であり、大抵の製品がこれに準拠して製造されます。したがって、メッキ業者が膜厚を指定する際は、必ずこのJIS等級を基準に選定することが実務上の標準となっています。
不適切な膜厚選定は、製品の早期劣化や性能不足につながるため、用途に応じた正確な膜厚の把握が何より重要です。
硬度向上が目的の場合、無電解ニッケルメッキは3級(最小10μm)以上が必須条件です。一般的な膜厚は5~10μmが多いにもかかわらず、耐摩耗性を狙う場合には比較的厚めの設定が推奨される理由には、興味深い物理現象が隠れています。
無電解ニッケル皮膜自体のビッカース硬度は、低リンタイプで700Hv、中・高リンタイプでも550Hv程度と非常に高い値です。これは一般的な構造用鋼の200Hv、アルミニウムの50Hv と比較すれば、その硬度の優位性は明らかです。
しかし、硬度と膜厚は必ずしも直線的な相関を持たないという知見が、実務では重要になります。薄い膜厚でメッキされたアルミニウムなどの柔らかい素材に対して、上から押下荷重がかかると、膜表面は硬くても素材の柔軟性を拾ってしまい、局所的に凹むことがあるのです。
微視的には厚膜と薄膜の剛性が異なり、厚膜のほうが変形耐性も優れています。つまり、同じ硬度の皮膜でも、膜厚が厚いほど素材全体としての剛性が高まり、実用的な耐摩耗性が向上するという逆説的な性質を持つのです。
防食性を目的とした場合、JIS等級では2級(最小5μm)以上と指定されていますが、無電解ニッケルメッキの膜厚と耐食性には明確な正の相関関係が実証されています。膜厚が厚いほど、メッキされた金属素材を保護する「盾」の効果が高まり、腐食環境への抵抗力が向上することは理に適っています。
ただし、膜厚を過度に厚くすることには落とし穴があります。無電解ニッケルメッキの膜が極端に厚くなると、ピンホール(小孔)の発生率が増加するという報告があります。これらの微細な孔が発生した場合、そこを起点として局部腐食(孔食)が加速的に進行してしまい、かえって製品の耐久性を損なう危険性があるのです。
したがって、耐食性を重視する場合でも、単に「膜厚を厚くすればよい」という単純な論理は成立しません。素材の種類、使用環境、製造工程での建浴(メッキ液の配合管理)の適切性を総合的に判断した上で、最適な膜厚を決定することが実務的には不可欠です。
特に化学プラント部品や海洋環境での使用が想定される場合、この慎重な検討が製品寿命に大きく影響します。
膜厚の管理が重要であっても、正確に測定・評価できなければ意味がありません。無電解ニッケルメッキの膜厚測定には複数の方法が存在し、それぞれに長所と制限条件があります。
蛍光X線式試験方法は、物質に照射したX線からの固有X線放射を既知試料と比較することで膜厚を算出する非破壊検査法です。金属・非金属問わず比較的薄い膜の測定に利用され、波長分散型とエネルギー分散型の2方式があります。ただし、測定対象の形状や材質によっては適用不可の場合もあり、事前確認が必須です。
デジタルマイクロメーターを用いた方法は、メッキ前後の厚さを直接測定して差分を求める簡便法ですが、複雑形状では精度が落ちる可能性があります。一方、質量計測による付着量試験は化学的に算出される方法で、全体的な平均膜厚の把握に適しています。
最も詳細な情報が得られるのは断面観察による測定試験です。これは膜厚部分を顕微鏡で直視する方法で、ピンホールの有無や膜の均一性まで視覚的に確認できます。ただし、試料を破壊する必要があるため、試作段階や重要な検査時点に限定されます。
メッキ業者は、製品の用途・形状・精度要求に応じ、最適な測定方法を選択して品質保証を実現しています。
無電解ニッケルメッキの膜厚は、メッキ液の調整後に実務的にどう管理されるのでしょうか。その鍵は「析出速度」という概念にあります。
メッキ液の組成が完成した時点で、メッキ業者はダミー素材を浸漬し、時間を計測しながらメッキを実施します。このダミーの膜厚を後で測定し、それを要した時間で除算することで、その浴における析出速度(μm/時間)が算出されるのです。
無電解ニッケルメッキの特性として、この析出速度は一定に保たれるため、目標膜厚を達成するために必要な浸漬時間を逆算できます。例えば、析出速度が毎時2μmの浴で10μmの膜厚を狙う場合、5時間の浸漬時間を設定するという単純な計算になります。
ただし、この析出速度は、メッキ液のpH、温度、撹拌速度、浴負荷(一定量のメッキ液が処理可能な製品面積の上限)などの条件に依存します。これらの条件が変動すれば、析出速度も変わり、膜厚管理が破綻します。
したがって、メッキ業者は浴液の日々のメンテナンス、pHの微調整、不純物の除去、老化防止処理を継続的に実施し、安定した析出速度を維持することで初めて、狙った膜厚を確実に提供できるのです。この見えない工程こそが、品質の鍵となっています。
参考情報:無電解ニッケルメッキの膜厚管理について詳しく解説しているメッキ専門業者の技術資料
https://www.connection-fukui.com/post/electroless-nickel-film-20230222
参考情報:JIS規格に基づくメッキ膜厚等級表と用途別選定ガイドを掲載した、メッキ業者向けの基準資料
https://ebinadk.com/enp_film_thickness