家庭裁判所に候補者を推薦しても、裁判所はその推薦に一切拘束されず、別の人物を遺言執行者に選ぶことがあります。
遺言執行者とは、遺言の内容を法的に実現するための手続きを担う人のことです。銀行口座の解約・不動産の名義変更・受遺者への財産の引き渡しなど、相続にまつわる実務を一手に引き受ける役割を果たします。
遺言書を作成した遺言者(被相続人)は、その遺言書の中で遺言執行者をあらかじめ指定しておくことが一般的です。しかし、遺言執行者が指定されていない場合や、指定されていた人物が遺言者より先に亡くなってしまった場合など、「遺言執行者不在」の状態が生じることがあります。
こういったケースで登場するのが、家庭裁判所による遺言執行者の選任制度です。民法第1010条に基づき、利害関係人の申立てによって家庭裁判所が遺言執行者を選任できます。
遺言は法律文書です。つまり重要性が高いです。
遺言執行者がいなければ、相続人全員が協力して手続きを進めなければならず、1人でも協力しない相続人がいると手続きが止まります。遺言に「特定の子どもにだけ財産を多く譲る」といった内容が含まれる場合、他の相続人が積極的に動かないことは珍しくありません。こうした相続トラブルを未然に防ぐためにも、遺言執行者の存在は非常に重要です。
また金融機関(銀行・証券会社)の手続きにおいて、遺言執行者がいれば遺言執行者単独で手続きが進められるケースが多く、相続人全員の実印や印鑑証明書を集める必要がなくなります。これは実務的に非常に大きなメリットです。
なお、家庭裁判所への申立ては、あくまで遺言執行者が「いないとき」または「なくなったとき」に限られます。遺言執行者がすでに存在している状態では申立て自体が認められません。遺言執行者の解任を先に行う必要があるため、注意が必要です。
参考:裁判所公式サイト「遺言執行者の選任」の概要・申立先・必要書類など公式情報が確認できます。
https://www.courts.go.jp/saiban/syurui/syurui_kazi/kazi_06_18/index.html
遺言執行者の選任申立てが特に重要になる場面は3つあります。それぞれ異なる背景を持ちますが、いずれも「遺言執行者がいなければ遺言が実現できない」可能性が高い状況です。
ケース①:認知・廃除が遺言に含まれている場合
遺言で「婚外子を認知する」「特定の相続人を廃除する」といった記載がある場合、これらは遺言執行者にしか執行できない事項です(民法891〜893条・781条)。相続人全員が協力しても、遺言執行者なしには家庭裁判所への申立て自体ができません。これが遺言執行者が最も「必須」になるケースです。
| 遺言事項 | 遺言執行者なしで執行可能か |
|---|---|
| 不動産の名義変更 | △ 相続人協力があれば可能 |
| 預貯金の解約・払い戻し | △ 銀行によっては可能 |
| 認知 | ❌ 不可(遺言執行者必須) |
| 推定相続人の廃除・取消し | ❌ 不可(遺言執行者必須) |
| 一般財団法人の設立 | ❌ 不可(遺言執行者必須) |
ケース②:相続人間でトラブルが起きている場合
相続人の中に遺言の内容に反感を持っている人がいると、手続きが進まなくなることがあります。遺言執行者がいれば、その人が単独で手続きを進める権限を持ちます(民法1012条)。これにより、感情的な対立を回避しつつ遺言を実現できます。
ケース③:指定されていた遺言執行者が死亡・辞退した場合
遺言書に遺言執行者として名前が記載されていても、その人物が遺言者より先に亡くなることはあります。また、指定された人物が就任を辞退することも可能です。辞退は自由ですね。このような場合、家庭裁判所への選任申立てで対応します。
参考:遺言執行者を選任すべき3つのケースと選任手続きの実践的な流れが解説されています。
https://www.zeirisi.co.jp/souzoku-tetuduki/legal-representative-assignment/
家庭裁判所への遺言執行者選任申立ては、比較的シンプルな手続きです。申立人・申立先・必要書類の3点を押さえておけば、自分で動くことができます。
申立人になれる人(利害関係人)
申立てができるのは、相続に直接利害を持つ人物に限られます。具体的には次の通りです。
- 相続人(配偶者・子・親・兄弟姉妹など法定相続人)
- 受遺者(遺言によって財産を受け取る第三者)
- 遺言者の債権者
申立先の家庭裁判所
重要なのは「申立人の住所地」ではなく、「遺言者の最後の住所地」を管轄する家庭裁判所に申し立てる点です。引っ越しが多かった人や、亡くなった場所と住民票の所在地が異なる人の場合は、住民票の住所で管轄裁判所を確認する必要があります。
必要書類一覧
| 書類名 | 備考 |
|---|---|
| 家事審判申立書 | 裁判所HPの書式を使用 |
| 遺言者の死亡記載のある戸籍謄本 | 除籍・改製原戸籍も含む |
| 遺言執行者候補者の住民票 or 戸籍の附票 | 候補者がいる場合 |
| 遺言書の写し or 検認調書謄本の写し | 検認から5年以内なら省略可能 |
| 利害関係を証する資料 | 戸籍謄本など |
5年の期限に注意すれば大丈夫です。
申立先の裁判所によっては、追加書類の提出を求められることがあります。事前に管轄の家庭裁判所へ確認を取るのが無難です。申立書の書式は裁判所公式サイトからダウンロードできます。
なお、遺言執行者候補者を申立時に推薦することはできますが、裁判所がその推薦に必ず従う義務はありません。裁判所が別の人物を適任と判断すれば、推薦者以外が選任されることもあります。この点は多くの方が意外に感じるポイントです。
参考:裁判所公式サイトの申立書の書式と記載例が確認できます。実際に申立てる際に使用します。
https://www.courts.go.jp/saiban/syosiki/syosiki_kazisinpan/syosiki_01_18/index.html
申立て自体の費用は非常に安価です。それが原則です。
申立費用の内訳
| 費用項目 | 金額 |
|---|---|
| 収入印紙(遺言書1通につき) | 800円 |
| 郵便切手代 | 数百円〜数千円(裁判所によって異なる) |
コンビニで収入印紙を購入して申立書に貼り付けるだけで、費用面のほとんどは完了します。申立費用だけ見れば「大きな出費」とは言えないでしょう。しかし、後述する専門家報酬を加算すると話は変わります。
選任までの流れと期間
```
STEP 1:申立書類の準備・提出(遺言者の最後の住所地の家庭裁判所へ)
↓
STEP 2:家庭裁判所が申立人・候補者へ照会書を送付
↓
STEP 3:申立人・候補者が照会書に回答し返送
↓
STEP 4:家庭裁判所が審理(1〜2週間程度)
↓
STEP 5:遺言執行者選任の審判
↓
STEP 6:審判書の交付(申立人と遺言執行者に送付)
↓
STEP 7:審判確定(審判書受領から2週間、不服申立がなければ確定)
```
候補者をあらかじめ立てた場合、審判確定まで全体でおよそ2〜4週間程度が目安です。候補者がいない場合や裁判所が混雑している場合は、1〜2ヶ月かかることもあります。
審判確定後、遺言執行者は正式に就任し、遺言の内容を実現するための各種手続きを開始します。金融機関では「選任審判書の謄本」が就任証明として機能するため、この審判書は複数枚取得しておくことをおすすめします。
参考:申立てから審判書交付までの流れと注意点を弁護士が詳しく解説しています。
https://nexpert-law.com/souzoku/3547
遺言執行者は、未成年者と破産者を除けば誰でもなることができます(民法第1009条)。相続人自身が就任することも可能ですし、弁護士・司法書士・行政書士などの専門家に依頼することもできます。選択肢は広いですね。
ただし、実務上の難易度は高い場合があります。不動産登記・金融機関の手続き・相続税の申告サポートなど、専門知識が求められる場面は多く、知識のない方が一人で全て対応するのは現実的に難しいことも少なくありません。
専門家別の報酬相場
| 専門家の種類 | 報酬の目安 |
|---|---|
| 弁護士 | 最低30万〜50万円程度、または遺産額の1〜2% |
| 司法書士 | 最低10万〜30万円程度、または遺産額の0.5〜1% |
| 信託銀行 | 最低100万円以上(遺産額に関わらず) |
信託銀行を遺言執行者に選んだ場合、たとえ遺産総額が少額であっても最低報酬として100万円以上が発生するケースがあります。金融機関に馴染みがある方が無条件に信託銀行へ依頼するのは、費用面で大きな損失につながる可能性があります。
では、実際に誰を選ぶべきか。遺産に不動産が含まれる・相続人間に対立がある・認知や廃除が含まれるといった複雑なケースでは弁護士、比較的シンプルな財産のみであれば司法書士や行政書士が費用対効果の面でメリットがあります。
また、家庭裁判所に申立てをする際に「候補者なし」とすれば、裁判所が弁護士などの専門家を遺言執行者として選任することもあります。この場合、候補者へのコンタクトコストが省けますが、誰が選ばれるかは裁判所の判断次第です。報酬については注意が必要ですね。
家庭裁判所が選任する場合でも、専門家報酬は遺産から支払われる点は変わりません。選任前に報酬の見積もりについて確認しておくことが、遺族にとっての節約につながります。
参考:専門家別の遺言執行者報酬の相場と注意点が比較されています。
遺言執行者の選任は、単なる法的手続きではありません。金融資産を守るための実践的な戦略として捉えることができます。
資産形成に意識の高い人ほど、有価証券・不動産・預貯金など複数の資産クラスを保有しています。こうした多種多様な資産は、相続発生後に相続人全員の合意なしで凍結・動かせない状態になりやすいです。これは痛いですね。
遺言執行者不在が招く「資産凍結リスク」
相続人が複数いて、遺言執行者がいない場合、金融機関は原則として相続人全員の合意書類を要求します。1人でも行方不明・音信不通・反対派がいれば、口座は凍結されたまま数ヶ月〜数年にわたって身動きが取れなくなります。相続財産の管理コストや固定費(不動産の固定資産税・マンション管理費など)は一方的にかかり続けるため、資産が目減りしていきます。
遺言執行者がいれば、相続人全員の印鑑不要で手続きを単独で進められる金融機関が多く、凍結期間を大幅に短縮できます。これは使えそうです。
「争族」予防策として遺言書を作成する場合の注意点
相続対策として遺言書を作成する際、遺言執行者を指定しないまま終わっているケースがあります。しかし遺言書があっても執行者不在では、前述の通り実現できない遺言事項が生まれます。特に非嫡出子の認知・廃除といった内容が含まれる場合、家庭裁判所への選任申立てが遅れれば遺言の実現が滞ることになります。
家庭裁判所での選任を生前から準備できるか
厳密に言えば、家庭裁判所への選任申立てができるのは遺言者の死後です。生前に申立てることはできません。ただし、生前にできる対策として「遺言書の中で明確に遺言執行者を指定する」「指定した人物があらかじめ就任を承諾している確認を取っておく」という準備が有効です。公正証書遺言を活用すれば、公証人が遺言執行者の記載についてもアドバイスしてくれるため、確実性が高まります。
将来の相続を見据えた資産管理の観点から、遺言執行者の指定・選任を「財産保全のリスクヘッジ」として位置づけることは、金融リテラシーの高い人ほど重要な視点です。結論は「生前の準備が全て」です。
なお、相続全体の戦略設計については、相続専門の税理士や弁護士にトータルで相談することで、遺言書の作成から遺言執行者の選定まで一貫したサポートを受けられます。特に資産規模が大きい場合や複数の不動産を持つ場合は、専門家への相談が節税・資産防衛の両面で効果を発揮します。
参考:遺言執行者がいない場合に誰が相続手続を行うか、実務的な観点から解説されています。
https://nexillpartners.jp/law/sozoku/blog/shikkou-column/20251015-1/