租税条約を使った節税ストラクチャーが、MLI導入後は「主たる目的が節税なら特典なし」と一発で否認されます。
BEPS防止措置実施条約は、正式名称を「税源浸食及び利益移転を防止するための租税条約関連措置を実施するための多数国間条約」といいます。英語略称は「MLI(Multilateral Instrument)」として国際的に広く使われています。
そもそもBEPS(Base Erosion and Profit Shifting:税源浸食と利益移転)とは、多国籍企業が各国の税制の隙間や抜け穴を巧みに利用し、本来課税されるべき経済活動に対する税負担を人為的に軽減する問題です。たとえば、実体のないペーパーカンパニーをタックスヘイブン国に置いて利益を集中させたり、コミッショネア契約(販売代理人型契約)を使って現地での恒久的施設(PE)認定を意図的に避けたりするスキームがその典型例として挙げられます。
こうした問題に対し、OECD(経済協力開発機構)は2013年にBEPSプロジェクトを立ち上げ、2015年10月に行動計画1〜15からなる最終報告書を公表しました。問題はここからです。BEPSプロジェクトが勧告したルールを実際の租税条約に盛り込むためには、世界中に数千本存在する二国間租税条約をそれぞれ個別に改定する必要があり、従来の方法では気の遠くなるような時間がかかります。
MLIはその課題を解決するために設計されました。つまり原則です。「1本の多数国間条約に署名するだけで、複数の既存の二国間租税条約にBEPS防止措置を同時に導入できる」という、国際課税史上きわめて画期的な仕組みです。
| 項目 | 従来の方法 | MLIによる方法 |
|---|---|---|
| 改定対象 | 1本ずつ二国間交渉 | 多数の条約を一括で改定 |
| 所要時間 | 数年〜十数年 | 署名後、発効まで数か月〜1年程度 |
| 導入コスト | 非常に高い | 大幅に削減 |
| 一貫性 | 条約ごとにバラバラ | 統一ルールを適用可能 |
日本は2017年6月7日にパリで行われた署名式に参加し、2018年9月26日に受諾書をOECDに寄託しました。その結果、MLIは日本において2019年1月1日に発効しています。2025年11月12日時点では105か国・地域が署名し、88か国・地域が批准書等の寄託を済ませています。規模でいえば、東京都の面積(約2,194km²)が世界規模の課税ルール整備の舞台になっているイメージです。
なお注意が必要な点として、アメリカ(米国)はMLIに署名していません。二国間条約を重視する政策方針から、現時点でもMLIの枠組み外に留まっています。したがって日米租税条約には、MLIの規定は自動適用されません。これが実務上の見落とし盲点になりやすいポイントです。
財務省・BEPS防止措置実施条約に関する最新の概要・署名国一覧・日本の選択内容が掲載されています。
MLIが既存の租税条約に導入するBEPS防止措置は、大きく2つの柱から構成されます。ひとつが「租税条約の濫用等を通じた租税回避行為の防止」、もうひとつが「二重課税の排除等納税者にとっての不確実性排除」です。具体的には以下の4つのBEPS行動計画が中心です。
なかでも投資家・国際税務実務家にとって最も影響が大きいのが、行動6の「主要目的テスト(PPT:Principal Purpose Test)」です。PPTが厳しいところですね。
PPTとは、取引や事業スキームの「主たる目的のひとつ」が租税条約の特典を受けることだと判断される場合、その特典を否認できる規定です。たとえば、オランダに実体のないペーパー子会社を置いて日本への配当にかかる源泉税を下げようとするスキームは、PPTによって「条約漁り」と認定され、配当に対する軽減税率の適用が拒否される可能性があります。
PPTの重要な特徴として、MLIに署名しているすべての国・地域がこの規定の適用を選択している点が挙げられます。つまりMLI適用国との取引においては例外なく、PPTの洗礼を受けるリスクがあるということです。
PwC税理士法人の解説によると、PPT導入後は海外子会社との配当・利子・ロイヤルティ・キャピタルゲインに課される外国源泉税・法人税の負担増加が見込まれ、既存の投資ストラクチャーの見直しが必要なケースも出てきます。具体的な数字でいえば、たとえば従来なら0〜5%に軽減されていた配当源泉税が、PPT否認で25〜30%に跳ね上がる可能性があります。これは投資収益に直接打撃を与えます。
PwC税理士法人によるPPT導入と投資ストラクチャーへの影響が詳細に解説されています。
PwC税理士法人|MLI(BEPS防止措置実施条約)の発効と投資ストラクチャーへの影響(PDF)
MLIのユニークな点は、各締約国が「どの租税条約にMLIを適用するか」「どの条項を採用するか」をある程度自由に選択できる点にあります。これが条件です。
日本は現在、MLIの適用対象として43か国・地域との租税条約を選択しています。英国・オーストラリア・フランス・ドイツ・カナダ・中国・韓国・インド・タイ・シンガポール・オランダなどが含まれ、日本企業の主要な貿易・投資相手国がほぼ網羅されている形です。逆にいえば、日本がMLIの対象として選択していない相手国との租税条約には、引き続きMLIは適用されません。
日本が適用することを選択している主な条項(11条項)は以下の通りです。
一方、日本が適用しないことを選択している条項も存在します。たとえば「第8条:配当を移転する取引に対する軽減税率の適用制限」や「第11条:自国居住者への課税権制限」などは非採用です。
注目すべき点として、第9条の「不動産化体株式」条項があります。不動産を多く保有する法人の株式を第三国経由で売却することで課税を回避するスキームに対し、不動産所在地国の課税権を確保する規定です。日本がこれを選択したことで、海外不動産投資ストラクチャーの実務にも影響が及んでいます。
国税庁によるMLIの概要と源泉所得税への適用関係が解説されています。
MLIが日本企業の実務に与える影響として、恒久的施設(PE)の認定範囲の拡大は特に見落とせません。これは使えそうです。
「PEなければ課税なし」という原則は国際税務の大原則です。つまり、海外で事業活動を行っても、その国にPEがなければ、その国での事業所得に課税されないということを意味します。多国籍企業はこの原則を活用し、現地でのPE認定を意図的に避けるために様々な契約形態を工夫してきました。代表的なのが「コミッショネア契約」と呼ばれる形式です。
コミッショネア契約とは、現地法人が自社の名前で製品を販売しているように見えるが、実態は外国親会社の代理人として動いている契約形態です。以前はこの形態を使うとPE認定を免れるケースがありました。しかしMLI第12条の採用により、コミッショネアが「通常、当該外国企業の名において締結される契約の締結において主たる役割を果たす者」と認定されれば、外国企業のPEとして課税される可能性が生じます。
さらにMLI第13条では、かつてPE除外規定の「抜け穴」として利用されてきた特定活動(準備的・補助的活動)の扱いも見直されています。具体的には、倉庫の維持、情報収集、広告宣伝などを「準備的・補助的」として組み合わせることでPEを回避する「分割戦略」への対処規定が盛り込まれています。
これらの変更が企業に意味することは大きく2つです。ひとつは「現地にPEが生じることによる現地課税リスクの増大」、もうひとつは「日本と相手国との間で二重課税が発生した場合の対処コストの増加」です。厳しいところですね。
実際に移転価格課税や恒久的施設の認定を巡る国際的な二重課税問題が発生した場合、MLI第16条・第17条の相互協議規定や、第6部の義務的仲裁制度が機能します。特に義務的仲裁は、2年間の相互協議で合意が得られない場合に自動的に発動される仕組みで、確実な解決が期待できます。これはMLI導入以前にはなかった強力な「安全網」です。
JETROの恒久的施設(PE)に関する各国税制の解説が参考になります。
JETRO|恒久的施設(Permanent Establishment: PE)とは
金融や投資に興味がある方が気になるのは「MLIとBEPS2.0(第2の柱:グローバル・ミニマム課税)の関係は?」という点ではないでしょうか。結論はシンプルです。
MLI(BEPS防止措置実施条約)は「既存の租税条約を修正・強化する多数国間条約」であり、BEPSプロジェクトの「第1フェーズ」に位置づけられます。一方、BEPS2.0のグローバル・ミニマム課税(第2の柱)は「法人税率に最低15%のフロアを設ける新しい国内法制度」であり、MLIとは別の枠組みで動いています。
両者の関係を整理すると次のようになります。
| 比較項目 | MLI(BEPS防止措置実施条約) | BEPS2.0 第2の柱(グローバル・ミニマム課税) |
|---|---|---|
| 目的 | 租税条約の濫用・PE回避の防止 | 法人税率の底上げ(最低15%確保) |
| 法的形式 | 多数国間条約(国際条約) | 各国の国内税法として立法 |
| 対象企業 | 租税条約を利用する企業全般 | 年間収益7.5億ユーロ超の多国籍企業グループ |
| 日本発効 | 2019年1月1日 | 2024年4月1日以後開始の対象会計年度から |
つまり国際的な税務リスクは2層構造になっています。MLIがまず租税条約の濫用を防ぎ、BEPS2.0がさらに低税率国への利益シフトに歯止めをかけるという二段構えです。金融や投資の観点から特に重要なのは次の点です。
海外ファンドや投資ストラクチャーの設計において、以前は「タックスヘイブン国の導管会社経由で配当・利子を受け取ることで源泉税を削減する」手法が使われていました。MLIのPPT導入でこの手法が封じられ、さらにBEPS2.0の15%ミニマム課税で超低税率国そのものの魅力が薄れます。二重のフィルターがかかるということです。
実務上の対策として有効なのは、まず自社が関係する租税条約にMLIが適用されているかを財務省の公式リストで確認することです。日本が対象として選択している43か国・地域のリストは財務省ウェブサイトで公開されています。次に、既存の投資ストラクチャーに「経済的実体」があるかを再確認することです。PPTは「主たる目的が節税かどうか」を問いますが、事業上の合理的理由が明確にある取引は特典が維持されます。
税務の専門的判断が必要な場合、国際税務に精通した税理士や法律事務所(Big4系税理士法人など)への相談が実務上の最短ルートです。
EYによるMLIの日本における発効と実務への影響が詳細に解説されています。
EY税理士法人|BEPS防止措置実施条約(MLI)〔EY情報センサー2018年6月号〕
ここまでMLIの仕組みと日本企業への影響を見てきましたが、「自分は個人投資家だからあまり関係ない」と思っていた方も、実は無関係ではないケースがあります。意外ですね。
たとえば、外国株式への投資で得た配当について、租税条約による源泉税の軽減が適用されるかどうかは、そのスキームや投資ビークルの設計によって変わります。特定のファンド経由で投資している場合、そのファンドの設立国や構造によってはMLIの第3条(課税上存在しない団体)や第9条(不動産化体株式)の影響を受ける可能性があります。
以下に、金融に関心がある方が知っておきたい実務ポイントをまとめます。
金融に関わる立場として最も重要なのは「既存のスキームが今でも有効かを定期的に確認する」姿勢です。国際課税ルールは急速に変化しており、2019年のMLI発効、2024年のグローバル・ミニマム課税導入と立て続けに大きな変更が実施されています。
MLIの適用を受ける租税条約の統合条文は財務省ウェブサイトで無料で閲覧・確認できます。
財務省|BEPS防止措置実施条約の我が国租税条約への適用関係(統合条文一覧)